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2004/9/12 お江戸日本橋亭 「みんなのきくろうvol.9」
shou_chong
古今亭菊朗さんの会、9回目。
菊朗さん、明るくて、華があって好きな噺家さんです。
若いけれどうまいです。
でも技術に溺れるタイプではありません。
プログラムに寄せられた文には「僕は決して上手い落語家を目指してはいませんが……」とあります。
うんうん、確かに落語に限らず自分から上手い人を目指したら、小さくまとまってしまいそうですよね。
「どうだ、上手いだろう」って言わんばかりの人、鼻についてイヤミですものね。
努力の結果、お客が見て「うまいなあ」と感じるのが理想のあり方かと。
もっと言うと、噺の最中には、うまい、へた、なんて判断することもなく、ただ引き込まれるように聴いていて、終わってしばらくしてからふと「うまかったんだなあ」と感じるのがさらに美しい。
そのほうがずっと粋じゃないかな。
菊朗さんの落語はそんな粋な落語だと思います。
さて、この日のプログラム。
○柳家緑太さん 「狸札」
ゲストの花緑さんのお弟子さん。
大学時代、落研にいらしたとか。だから年は22より上のはず。それにしては童顔ですね。だから、ほんとに子狸がしゃべっているみたいでかわいいです。芸が未熟って意味じゃないですよ。
○菊朗さん 「三年目」
マクラは、最近は出番前に客席の様子を伺うのをやめたというお話など。
以前は、あらかじめお客さんの顔ぶれを見て「あ、また来てる」なんて思っていたけれど、今は座布団に座ってお辞儀をして初めてお客さんの顔を見るのだとか。
「あ、また来てる」のニュアンスは、失望、喜び、単なる事実確認、その時々で色々ありましょう。
菊朗さんは対照的なものを実演した上で、どちらとは特定してませんから、といった意味のことをおっしゃる。
そこでお客さんは笑うのですが、きっと失望の対象の人もいるんですよね。
「お見立て」のお客みたいな野暮天さん。自分のこととは露知らず笑っている。おー、コワイ、コワイ。
こんな明るい毒も菊朗さんの魅力の一つです。
「三年目」は幽霊が出てくる噺だけど、ぜんぜん怖くはない。悪人は出て来ませんしね。菊朗さんがなさる女の人には、ほどよい色気と品と可愛さがあります。だからサゲが生きてくる。幽霊だけど、怨念、祟り、なんておどろおどろしいものとは無縁。この幽霊さん、きっと、これからは楽しくあの世とこの世を行き来するのじゃないかしら。
○柳家花緑さん 「目黒のさんま」
育ちのいい花緑さんはお殿様にぴったりです。与太郎まではいかないけど、無邪気で人のいい若殿様。古典だけど現代的アレンジも随所にあり。花緑さんの噺は素直に聴けるのがよいです。好物ってほどではないけど、やっぱりこの噺を聴くとさんまを食べたくなりますねえ。
○ 菊朗&花緑対談 菊朗の「おたずねします」
同い年のお二人。でも、芸歴では花緑さんのほうが先輩。だから菊朗さんは常に礼儀正しい態度をくずさない。それが花緑さんはちょっとサビシイ。もっと親しいおつきあいをしたいのだとか。そんな話が花緑さんのマクラで披露されていたこともあり、対談はなごやかなムードで進んでいきました。
「真打昇進に向けて、二つ目時代の心がけ」と「座右の銘」が対談の大きなテーマ。これは毎回変わりません。それに因んで、二つ目時代の話、真打になってからの話などが披露されます。
大抜擢で真打に昇進されたときの話では、「それはおじいちゃんという太いパイプがあったからです」とサラリとおっしゃる花緑さん、カッコイイです。いくら昇進が早くても、実力が伴わなければ落語の世界では通用しないでしょう。(政治家とは違いますよね。)名門の出ゆえの苦労、重圧も並大抵ではなかったでしょう。しかし、それにつぶされることなく逞しさを身につけられ、明るく当時を振り返る花緑さんはステキです。
落語家の使命はお客様に楽しんでいただくこと。積極的にいろんな場に出て行って、そこで吸収したものをお客様にお見せする、それが落語家の生き方ではないか。だから、テレビも毛嫌いせずに出たらいい。テレビに出ると芸が荒れる、という人がいるけれど、テレビに出なくても荒れる人は荒れるんです。そんなことを熱っぽく語られる花緑さん。
座右の銘はおじいちゃんと同じく「万事素直」だそうです。
あれこれと話は弾み、これをきっかけにお二人の距離も縮むのではないか、お友達づきあいが始まるのでないか、と予感させる楽しい対談でした。
○ 菊朗さん 「井戸の茶碗」
この噺、喬太郎さんがなさるのを何度か伺ったことがあります。絶対ハッピーエンドだろうなと予測がつくから安心して聴いていられる。そして、そしてそこに至るまでの展開が興味深い噺。プログラムには、今日の二席は、いままでの持ちネタに比べるとおとなしめです、といった意味のことが書かれていました。が、菊朗さんの陽性なよさは出ていたんじゃないかな。
なにより善人ばかり出てくる噺ですから、それに真実味がないといけない。性格悪い人にはできない噺ですよね。まあ、性格が悪い人は噺家になってはいけない、という話もありますけど。派手さはないけど、最後に素直によかったなあ、と感じられる。性格のよさと実力がものを言う噺ってとこでしょうか。菊朗さんにはその両方があるから、気持ちよく聴くことができました。
めでたし、めでたし。
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