2004/11初旬 下北沢「劇」小劇場
「定本柳家喬太郎伝説」
おぎわらおっと
横浜から8日間はとてもじゃないけれど通いきれない(行くなら8日間すべて、さもなければ悔しいから1日も行くもんか)と考え、あえて買わなかった前売りでしたが、初日が日曜で特に予定も無く、つい気になって電話をしたら当日券が出るというのでフラフラと出かけたところが、期待通りの面白さだったせいもあって、あろうことか、「1日行った以上は無理をしてでも通えるだけ通おう」と気持ちが燃え上がってしまい、馬鹿ですねえ、当日券が出なかった楽日と予定を動かせなかった土曜を除いた6日間、毎日2時間早く家を出て(6時出勤)その分早く会社を飛び出し、当日券の列に並ぶという愚かな日々を送ってしまいました。
10年程前の国立演芸場「立川談志五夜」で同じような馬鹿をやって以来、
真人間に更生して生きてきたつもりだったのに、
大好きな喬太郎の新作の魅力には勝てず、馬鹿がぶり返してしまったようです。
でも本当に楽しかった。
身体は思い切り疲れたけれど(暗闇の出勤と超満員!の帰りの小田急線)楽しかった。
喬太郎の古典は、二つ目時代に落語協会の2階座敷で1年間、
ほぼ毎月開かれていた「喬太郎勉強会」に通って20席前後を聞き、手馴れた、そして実に腰の座った芸を見せてくれる人だと、楽しく笑いながら感心させられた経験がありますが、喬太郎といえば、まずは何と言っても底知れない創造力を感じさせてくれる新作の見事さでしょう。
喬太郎と志の輔の二人は、どんな新作を語ってもそことなく、時には濃厚に、古典の香りを漂わせずにいられない新作の達人だと思いますが、
他方、古典の香りを微塵も感じさせない新作の魔術師みたいな昇太や白鳥がいて、
こちらはまた、破調で爆発的に面白い古典までをも聞かせてくれるのだから、
志ん朝さんが亡くなって江戸前の落語の世界が極度に寂しくなったのは明らかとはいえ、
自分の目と耳の被写界深度を変えてみれば、あちこちに息づく様々な落語が見えるし聞くえてくるしで、
こんなに落語が楽しくて生き生きと豊かな時代は空前なんじゃないかという気さえします。
錯覚でしょうか?
私は落語の会場でも映画館でもラグビー場でも、ほとんど必ず最後列を自分の指定席にしているのですが、
前売りが1枚余ってしまったという美しい女性に券を譲ってもらった4日目には、
喬太郎まで1.5メートルの最前列という、楽しいけれど落ち着かない初めての経験もさせてもらい、
喬太郎の正座はまっすぐ伸ばした右足の裏に左足のかかとを乗せるようにするんだ(落語家さんは皆そうなの?)なんて事を知ったり、ゲスト紋之助さんのトトロの着地を目の前50センチのところで
見られたりして。
告白すると、トトロが渡ってくる糸を着地台で押さえる役に指名されたときに備えて、
紋之助さんの登場と共に、髪をなでつけ、身なりを整え始めた私でありました。
毎日、音と共にビデオも撮っていたから、行けなかった2日分も含めて、いつかまたこの8日間の喬太郎に会うことが出来るのでしょうか。
私は必ず、全部買います。
(鶴瓶の「らくだ」にもそりゃあ立ち会いたかったけれど、これでいいのだ)
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