2004/10/19 なかの芸能小劇場 「鯉昇の大冒険」
三谷潤一
ひとつひとつのパーツが大きいから、一度見たら忘れられない顔。
よく通る美声。
ぎっくり腰をやったとは思えないメリハリの利いた動き。
鯉昇さんが落語家という職業を選んでくれたことに感謝。
往年の名人の高座というのはこういうもんだったんじゃないか、と何度か思う。
そのくらい、雰囲気がある。寄席では気がつかなかった。
決して気取りも気負いも感じさせず、居心地の良い空間に身を委ねているといつのまにか笑っている。
もちろん、いろいろな工夫や仕掛けがあってのことなのだが、それを客に気付かせるのは野暮、とでもいうかのように淡々としている。
笑いたくて足を運んでいる筈なのに、いつのまにか周囲と「笑い」を競っているような空気を感じることがある。
「ここで笑うのが通だ」とこれ見よがしに声を立てて笑う人。
「どうだ、これがわかるか」と牽制されている気がして、つい張り合いたくなってしまうことがある。
みっともない。面目ない。
笑うだけではない。「この噺は知っている」と下げを先回りして口に出す、「この噺は知っているのと違う」と感心する、といった輩は人気の高い公演ほど
多く見かける気がする。
自戒を込めて、慎みたいもんです。
自慢したい気持ちの起こした行為が他の客の笑いを削ぐこともあるのだから。
鯉昇さんは名人だと思うのだが、客席に競い笑いはなかった。
でも、一斉に笑いが起こるというより、あちらこちらで各々のツボをくすぐられてくすくす笑っている、という様子。
様々な客がいて、それぞれに異なる笑いのツボを巧みに押してくれる。
なかなかできることではない。
終演後、マッサージを受けた後のように気持ちが軽くなってロビーに出たら、私服に着替えられた鯉昇師匠をお見かけした。
高座ではもっと大きく見えたのに、小柄に感じた。
芸人さんなんだなぁ。
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