05/11/16 新文芸坐「稲垣浩監督生誕100年記念特別上映」
じむ福
最初の「諧謔三浪士」、片岡千恵蔵の美剣士ぶりにびっくり。
市川海老蔵の宮本武蔵よりずっとカッコイイ。
私が知っている千恵蔵は、しもぶくれ、ブルドックのようなほっぺのお爺さんでしたから、ただもう驚き、
そして、千恵蔵がスターだったことに遅まきながらガッテンしたのでした。
休憩になって、Mさんと「若い」、「カッコイイ」と褒めちぎったのに、「諧謔〜」の翌年に作られたという「瞼の母」が始まるや「あれー?」(ざ・ぼんちのおさむちゃん風)
終わるなり、私より早くMさんが「一年ですっかりおじさんになっちゃってる!」と、もうまったくもってびっくりです。
「瞼の母」は、監督・稲垣浩という人に大拍手!
最後、忠太郎は母の胸に顔をうずめる、めでたし、めでたしって、なかなか照れてできないでしょうに、本心ではそうありたいというのがあると思うのです。
それをやってしまうってとこがエライというかスゴイなぁと。
開演に先立ち、弁士の澤登さんが、いろいろ解説してくださって、
監督がどうしても「瞼の母」を撮りたくて、無断で千恵蔵の名を出して、原作の長谷川伸の了解をとりつけ、当時、長谷川作品は当たらないというジンクスに映画会社が渋るのも何とか説き伏せ、撮影にこぎつけたと。
つんぼ桟敷の千恵蔵が烈火のごとく怒ったそうですが、監督はとにかく撮りたいと。
封切れば空前の大ヒット。股旅物ブームや長谷川伸作品ヒットのさきがけになったのだとか。
最近、若者に人気の「野ブタ。をプロデュース」風に言えば、
「マブタ。をプロデュース」の稲垣監督。
そして、澤登さん。
解説もよかったですが、本業・活弁のなんとも心地よいこと。
活弁が無声映画に不可欠なこと、弁士の良し悪しで作品の良し悪しも左右されてしまうこと…いい映画でも弁士が悪ければダメだし、平凡な映画も有能な弁士の舌先三寸ですばらしい作品に思える、そんな気がしました。
映像に音をつけられないから生まれたのが弁士という商売なのでしょうが、映画屋と話芸屋、幸福な役割分担ができていた、いい時代だったんだなぁと思えたのは、澤登さんの芸の力でしょう。
活弁はすばらしい話芸だと、初めて気付きました。
澤登さんの活弁で、稲垣作品を初体験でき、千恵蔵、山田五十鈴という、お爺さん、お婆さんの姿しか知らない名優の若い姿を観られたのも貴重な体験でした。
この映画を観ていた当時のお客さんの熱い視線まで焼きついているような、単なる白黒映像ではない、心躍る活動写真でした。
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