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05/10/10 シアター・グリーン 立川談春
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05/10/08 ロックスタジオ
「本間しげるLIVE at ROCK STUDIO 2005秋」(昼の部)

shou_chong

浜松町は無色透明、無味無臭の街と書いたのは夏のこと。
季節は巡り秋となり、今年二度目の本間さんライブに出かける。
相変わらずよそよそしい雰囲気の街である。
が、多少の変化はあった。
歩道を歩いていたら、足元からなにやら異臭が。
犬の落し物かと思いきや、それらしき物体はなく、よく見ればつぶれた銀杏。
気がつけばそのあたりの街路樹はイチョウであった。
それがめでたいかどうかはわからぬが、浜松町は少なくとも無臭の街ではなくなっていた。(ただし期間限定だ。)
本間さんのイメージにはおよそ似つかわしくない臭いを嗅ぎながら、ロックスタジオへ。
今回のライブも傑作揃いであった。
■セレブジャージの女刺客
ジャージと言っても、休みの日のお父さんのくつろぎ着とは訳が違う。
マドンナやジェイロウ(ジェニファー・ロペスの略だそうだ)のようなセレブ御用達の高価なブランド品のジャージファッションなのだ。
セレブにあやかりたい、かやつりたい女性も同様のジャージファッションに身を包む。身体の線がはっきりわかる服だからして、1ミリだって無駄なお肉がついていたら興ざめなのだ。よほどシェイプアップに励み、節制を心がけている人でない限り着られるものではない。それに、たとえ無駄なお肉はついていなくとも、マリリン・モンローのような豊満な体型のご婦人にも似合わないであろう。
まことに着る人を選ぶファッションである。
この難しいファッションを見事に着こなした本間さん演じるセレブジャージの女性。
日本で言うセレブと、英語で意味するところのcelebrityにはかなりのずれがあると思う。ひところどんな職業の人にもカリスマをつけて、無理やりありがたみを出す安易な表現が流行ったが(今でもか?)、この女性が認識しているのもその次元で語られる程度のセレブリティである。
そしてこの女性が、なぜかカメイシズカという人物から、シカクの任をおおせつかり、コイズミシュショウという人の下に送られる。
やたらとカタカナ表記をしているのは、この女性の頭の中には正確な漢字表記が浮かんでいないはずだからである。
本人はカメイシズカ氏とホリエモンは関係があることは漠然とわかっているつもりなのだが、実はしずかちゃんとドラえもんの関係と混同していたりする。シカクとはなにかの資格のことだと思っていたり。
コイズミシュショウはX Japanが好きなこと、そしてそのメンバーのYOSHIKIが工藤静香とつきあっていたことは知っていて、だから、やっぱりコイズミシュショウとシズカは繋がりがあったのね、という認識の仕方なのだ。
当然、受け答えも質問も頓珍漢なものが多い。
だが、時に本質をつくような鋭い発言をして、カメイ氏やコイズミシュショウをドキリとさせたりする。(と観客は想像する。)
コイズミシュショウに
「ヤスクニサンパイするところは、見られたくないのでしょう?
わかるわ。私もすぐに人から声をかけられたりするタイプだから。見られたくないのよねえ。でも、そういう自分は見てほしいの。見られたくないという様子の、自分は見てほしいのよねえ」(台詞再現率は限りなくゼロに近いので鵜呑みにしないこと)
などと、いわゆるタメ口で話しかける。相手の深く頷くさまが目に浮かぶようだ。
この作品はいわゆる政治ネタの一つなのだと思う。(その他の要素もあるけれど。)
だが、具体的に語られるのは政治に疎い女性の台詞のみ、政治家の台詞、態度は観客が各自頭の中で想像する仕組みだ。
そうやって政治の一面をあぶりだす。
なんともおしゃれでセンスのいい政治ネタなのだ。
鋭い、面白い、キワドイ、アブナイ、政治ネタはあるけれど、おしゃれでセンスのいい政治ネタはなかなかない。
本間さんの鮮やかな手腕には、ただただ感服するほかはない。
■六代目
封建時代、百姓一揆に加わったものの、あっけなく殺された男。殺した相手を恨むだけでなく、「こいつの子孫、七代先までたたってやる」と心に誓う。
が、現在、六代目にあたる女性が四十歳手前にしていっこうに結婚する気配がなく、不安になり始める。
このままでは、七代たたれないではないか。
そこで幽霊になって六代目の前に現われ、結婚相手をつかまえる指南を始める。
幽霊とはいうものの、見た目はいっこうにこわくない。
身につけているのは死装束のような白い着物、だが生地は薄くつるつるで光沢があり、しかも丈は短くつんつるてん。その下に白い靴下をはき、頭には農協の帽子。
きっと農協おじさん(本間さんのレパートリーの中の一キャラクター)のご先祖さまなのだ。
「まだ四十ではありません」という六代目に対し、
「かぞえなら、四十だ」とキッパリ言い放ち、天井にジャニーズ事務所のタレントのポスターが張られた部屋を見回して、
「この部屋に男が来るか?」などと、最初はきびしいことを言っていたこの幽霊。
やがて、けっこう親身になって六代目の世話をやき、ただのいいおじさんになっていたりする。
「コンパの席で食べ物を取り分けてやる時には、さりげなく相手の男に触れるといい」
「コンタクトレンズの具合が悪いから、と中座した後は、メガネをかけて男たちの前に現われ、別の顔も見せるといい」
と懇切丁寧な指導。
指導の結果?一時はいい線までいった六代目だが、結局逆戻り。
見込みなしと愛想をつかした幽霊は、「もう、出てこない」と別れを告げる。
が、急展開があり、六代目の方から呼び寄せられる。
「江原(啓之)なんか使うなよ。引越しまでしたというのに」とぼやく幽霊。
聞けば六代目、サンフランシスコに引っ越すのだとか。結婚相手が決まったのだ。
サンフランシスコという土地に必然性がある相手である。
「そっちへいったか。それじゃあ、子供は産まれないよなあ。養子をもらう? アメリカ人の? 血はつながっていないよなあ。うーん、微妙だなあ……たたっとくかぁ……その子供は家を継ぐのか?」
と悩む幽霊。
が、その子供は七代目を継ぐはずだと結論づける。
「なぜならば…」と正座をし、「徳川も……」とサゲを言い(さすがにサゲはばらしません)お辞儀をするという落語的な終わり方。
このためにも着物で登場する意味があったのか。
私はこの終わり方を大いに喜んだのだが、この回に集まったお客さんの多くは、落語にはあまりなじみがないらしく、ほとんどの人がポカンと不思議そうな顔をしていた。
うーーーん、もったいない!
(こんな場面でも、たいせつにしたい日本語、モッタイナイ、ちょっと悲しい。)
■君へ
さる高貴なご一家のご長女に恋した男性。
周囲の否定的な意見をものともせず「日本人なら君を好きになって当然だ」とひたすら恋路をつき進む。
少しでも彼女に近づきたいと、右翼団体に所属。
街宣車に乗り「ニッキョウソのゴキブリども」などと、演説も堂に入ったもの。
が、彼女に恋していることが仲間にばれ、「恐れ多い!」と暴行を受ける。
「二人の間を阻んでいるのは○○制だ」と左翼に転向。
しかし、ここでも彼女に恋していることが、スパイ行為と受け取られ、ソウカツを受ける。
どこにも居場所のなくなった男性は追い詰められ、爆弾を積んだ車ごと、かのお宅を目指し突っ込んでいく。
結果、警備にあたっていた警官を死傷させ、塀の中へ。
独房で思うのも彼女のことばかり。
デートシーンを夢想して、二人だけの世界に浸る。
「君の家は(ケイタイの)圏外だったんだね」と独り言を言い、
切り傷を負った彼女の指に唇で触れた場面まで思い描き、
「君の血はちょっと濃い味がした」と感想を漏らす。
(とってもアブナイ感想だ。)
やがて、彼女が婚約したことを知らされる男性。
民間人で自由の身であった男性が塀の中に入り、幾重もの箱入り娘であった彼女が民間人となり自由の身となるのだ。
完全な立場の逆転。
だが、男性はそんな運命の皮肉にも気づかず、素直にお祝いの手紙を書き綴る。
彼女の幸せだけを願う男性。
しかし、独房での平穏な日々は永遠には続かない。
刑の執行の日がやってくる。
男性は、そのことを知り、そうなる前に自分で自分の始末をつける。
このシーンは文句なく圧倒的に美しい。
一般的な善悪で判断するならば、この男性は完全に世間から葬り去られる立場の人である。
しかし、本間さん演ずるこの男性には、善悪を超越した美しさがあるのだ。
常軌を逸するほどに、何かに取り付かれた人にだけ備わっている、純粋な美しさが。
狂気と紙一重の、凶器が持つような美。(駄洒落みたいで申し訳ない。)
その紙一重の男性をいわば鏡に見立てて、かの世界を笑いを交えて描く本間さんは、やはりタダモノではない。
*このほかにも「劇的おばさん、葬式編」という傑作があり、本間さんお着替えの最中には、過去の作品の映像などが流れた。
「世界の車窓から」のパロディ映像には(本間さん扮する)談志師匠が登場。一言も話さないのだが、そっくりで大笑いさせられた。
しつこいようだが、本間さんの作品は非常にレベルの高い傑作ぞろいなので、私の拙文レポートで見たような気にならずに、ぜひ正当な代金と時間をかけてライブに足をお運びいただきたい。
この駄文を読んで本間さんライブに行った気になろうというのは、カニカマでカニを、キュウリに蜂蜜で夕張メロンを、インスタント春雨スープでフカヒレスープを食べた気になろうというようなもの。
無謀でずうずうしい行為でありますよ。

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