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中野studio twl ヨージ単独ライブ
「ONCE UPON A TIME MACINE」
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05/10/10,16 中野studio twl ヨージ単独ライブ
「ONCE UPON A TIME MACINE」

shou_chong

*2日間のライブ、両日拝見。10日は今まで拝見したヨージさんライブの中では一番わかりやすい構成、展開と感じた。16日は構成、展開に多少の変化があり、複雑化していた。そのため、受ける印象にも多少の違いがあった。だが、内容的にはほぼ同じであったので、レポートはまとめて書かせていただく。
■メインストーリーのようなもの
32歳になってもバイト生活から脱却できずにいる、売れないお笑い芸人ヨージさん。
(個人的には「お笑い」という言い方は好みではないが、演芸と言うと範囲が広すぎるので便宜上使用)
妥協しつつ、ぼやきつつ暮らしている。
離婚をしてからは、一人娘のセツコちゃんとも二ヶ月に一度しか会えないのがさびしい。
もとより別れることを望んでいたわけではない。
すぐに疲れるという難病に侵されたセツコちゃんには、多額の費用がかかかる。その費用を負担すると申し出てくれたのが、妻の母親であった。ただし籍を抜くという条件つきで。書類上のことだけと思い応じたヨージさんであったが、それは誤算であった。相手は異常に手回しがよく、弁護士も用意しており、「生活能力のない父親」と断じられたヨージさんは、完全な別居生活へと追い込まれてしまう。
かつては芸人活動を応援してくれていたもと妻も、今は働くことに楽しみを見出し、夫婦のつながりと言えるのはセツコちゃんのみのような状態だ。
(現代版「子はかすがい」となるか?)
「お母さんはね、働きたいんだって。お父さんは、(バイトでは)働きたくないんだ。
相性ピッタリなんだけどなあ」
とセツコちゃんに語りかけるヨージさんの台詞はおかしくてせつない。
「昔お母さんがつくってくれた、食パンのみみを揚げて砂糖をまぶしたオヤツ、
おいしかったよなあ」
と、なつかしむヨージさん。
クッキーやケーキでないところがいい。こういうところで、ヨージさんファンは心をわしづかみにされるのだ。
二ヶ月に一度の面会も夜の7時までとの制限つき。いつまでもセツコちゃんを引き止めておきたいヨージさんは、時計の電池を入れ替えて、時間稼ぎをしようとする。
この話は、小学校二年生の頃、クラスメートの女の子を好きになり、でも好きだという思いをどう扱ってよいのかもわからず、その子の算数セットの時計を4時にあわせていた(僕はヨージだから)というエピソードとも重なるのだが、二十数年たっても発想がどこか子供じみているのが微笑ましい。
しかし、久しぶりに会った父親に対し、セツコちゃんは意外にツレナイ態度なのだ。
もっとも、父親とはもともと娘には疎んじられやすい存在である上に、普段から離れ離れの暮らしでは、なおのことうるさがられるのは道理である。
そこで、お父さん改造講座なるものの講習を受けるヨージさん。
ここで配られるテストの内容が傑作だ。
問一もおもしろいが、全ては語れないので、問二のみ紹介。
問二:次の一群と二群に並べられた語句を組み合わせて、宮崎駿監督作品のタイトルを完成させなさい。
(正確にはこんな表現ではなかったとは思うが、要は、ぶつ切りにされ、アトランダムに並んだ宮崎映画のタイトルを、正しく並べ変えるというもの。)
ヨージさんはことごとく間違えて、とんでもないタイトルを作り上げる。
(そもそも、みやざきしゅん監督と読むところからして間違っているのだが。)
読み方も、「ハウルの」ではなく、「八穴(はっけつ)の」だと思ったり、勝手に複雑なストーリーまで作ってしまう。
「もののけ姫」は「もの」と「のけ姫」に分けられていたため、
「もの、って教育テレビで放送するような、教育映画賞かなんかとった海外の粘土アニメだよ、きっと。チェコの作品だな」
なんて想像をしたり、宮崎アニメとはかけ離れた方向に進んでいく。
しかし、とんでもないタイトルと思うのは、もとのタイトルを知っているからにすぎない。先入観なしにタイトルを作るとなれば、組み合わせは自由自在なのだから、いくらでもおもしろいタイトルができあがるはずだ。
前回のヨージさんライブレポートで、私は次のようなことを書いた。
「複雑な構成の舞台であるから、観客は頭の中でネタの再構成を行うことになる。組み合わせは各自自由。自分なりの舞台版アナグラムを自在に楽しめばいい。解釈に無限の可能性を持った舞台である。」
このタイトルの作成はまさに、ヨージさんの舞台を象徴しているようなシーンのように思われる。
しかも実に知的で腹筋が痛くなるほど笑えるシーンでもある。
こういうことを同時に軽々とやってのけてしまう、ヨージさんの才能に恐れ入る。
さて、お父さん改造講座を受けたものの、さしたる成果も得られず、ヨージさんは不器用なお父さんのまま別居生活を続けている。
そんなある日、新しいバイト先で元タクシー運転手、源さん(本名、平賀源内=SFもので、昔の時代にタイムスリップした登場人物を助ける役どころ)という人物と知り合う。
源さんは、急いでいるお客にはどんな場所でも「10分で着く」と請け負い、オーストラリアに帰る恋人を見送りに行くこん平師匠を乗せたときには、いったん羽田に行ってから間違いに気づき、成田まで送ったのだと言う。
(「反対俥」みたいなスピード感のある話だ。)
すぐ疲れてしまう難病の少女(つまりはセツコちゃん)と仲良くなり、あちこち連れて行ってあげたこともあるのだとか。
(源さんの車はタイムマシンだったのだ。)
やがてヨージさんは、空気のよい長野の高原地方に引っ越したセツコちゃんから、学校の文化祭に来てもいいよ、と連絡を受ける。だが、それは、普通の手段で行ったのではとうてい間に合わない時刻だった。
そこで、10日は、源さんの車に乗せてもらいセツコちゃんと再会を果たし、
16日は、おそらく時空を遡る電車を乗り継ぎ、セツコちゃんと再会を果たす。
(ここでも「反対俥」っぽく、最初は間違えて「友達の彼を見に行くブーム」に乗ったりする。平行して走る電車には男がいっぱい乗っている。これは明らかに「電車男」ならぬ「男電車」である。)
ここまでが、メインストーリーらしきものの、私が語りうるところの概要である。
全体像については、ヨージさんの舞台は複数のストーリーが何らかの形で複雑に絡み合ったものであるから、描写は不可能である。
よって、以上報告終わり、と言いたいのだが、それではあまりに無責任なので、以下は私が興味を引かれた部分についていくつか書かせていただく。
■文学的笑い
スーパーマリオブラザースだと思っていたゲーム、よく見るとヒゲが違う。
白いヒゲのおじいさんだ。これは志賀直哉ブラザースだ。
ということで、「小僧の神様」「城の崎にて」「網走まで」などというフレーズがごく当たり前のように出てくる。
これがイヤミでなくおもしろいからスゴイ。
(高校時代、すごい、とは、本来凄惨な場面の描写などに使うべき言葉で、めったに口にすべきではないと国語の先生に教わったのだが、やっぱりほかの言葉が見つからない。
ヨージさんはスゴイのだ。)
■安易なネタを歓迎する風潮に対する批判精神
コンビニコントの(サ○○スのCMに流れるメロディで)「すぐそこ3キロ♪」と、
ドラえもんがらみのコント「どこまでもドア」は、何年も前から複数の芸人がやるのを数え切れないほど目にしている。しかもライブではそんなコントのほうが受けたりする。
「すぐそこ3キロ」の後、「北海道の発想ですね」なんて工夫はしちゃダメなんだ、とか。(つまり、単純なネタを喜ぶお客には受けないということらしい。)
これは誰がやってもいいのか? いっそ著作権フリーにしてしまえばいい。
世間では、あるあるネタや、一発ギャグも歓迎されている。
「だから僕もこれからは一発ギャグだけやります」と、皮肉な発言。
しかし、ヨージさんはこの話をここで終わらせたりはしない。
安易なネタもストーリーに盛り込み、感動や笑いに変えてしまうのだ。
セツコちゃんが源さんに向かって「おじさんの車はどこまでもドアなんだね」と言ったり、コンビニコントをするメカ若手(ロボットの若手芸人)が、すべって自爆したりする。
安易なネタ、使い古されたネタをもとにして、おもしろい作品に仕上げてしまうヨージさんの舞台表現者としての心意気、センスのよさに痺れる。
そのほうが、ただ口で批判するだけよりも、何倍も思いが伝わるし粋であると思う。
■軽薄でセンスのない表現に対する嫌悪
「声に出して読みたくない日本語」として、ヨージさんは「午後ティー」を挙げている。
「午後ティーと言うのだったら、十六茶は十六ティー、緑茶は緑ティー、と言うのか? 
ジャスミン茶はジャスミンティーと言うのか? あ、これは言うな。ここから慣れていけばいいのか」
と独り言を言うヨージさん。
軽薄な言い方にも慣れないと、スムーズに社会生活が送れないということらしい。
ほかにも声に出したくない日本語はいくつかあり、何度か繰り返すうちに慣れようとするが、そのうち「しょうぼうじどうしゃじぷた」「ぐりとぐら」……と、絵本のタイトルが口に出て、「いけない、自分の好きな方向に逃げている」と反省。
心のよりどころが絵本のタイトルというのがおかしい。しかも(たぶん)名作絵本だ。
ヨージさんの言語センスは、幼少期から健全に育まれていたことがわかるエピソードである。(ホントか?)
■落語的笑い
ヨージさんは意外に落語好きらしい。
サイトでは笑点を題材にした傑作なネタを披露されている。
(本家本元よりおもしろいことは言うまでもない。)
今回のライブでも、こん平師匠が登場する話があった。
また「饅頭こわい」や、小咄の「隣の空き地に囲いができたってねえ、へえ」を元にした話も盛り込まれている。
これがまた、単純ないじり方ではなくてめっぽうおもしろいのだ。新作派の若手噺家さんだったら自己嫌悪に陥るかもしれないほど。
ヨージさん版「饅頭こわい」では、饅頭が「爆笑オンエアバトル」のボールに見えて怖い、という芸人仲間が出てくる。
ヨージさんご本人のご意見はともかく、少なくともライブで演じられているところのヨージさんはあの番組に否定的で「国営放送であんな番組流していいのか!」と叫ぶ。
落語的な匂い、落語への愛は感じさせながらも、安易に元の噺をなぞるだけで終わらせず、ヨージさんらしい凝った話に展開させていくところが偉大である。
■含羞ゆえの奥深さ
今回のライブに、控えめな人生を送る人が出演するテレビ番組、というネタがあった。常に一歩も二歩も後ろに控え、人に道を譲りながら生きている人をスタジオに呼び、話を聞くという番組だ。そんな番組、実際には成立するわけがない。現実世界の番組とは正反対の作り方で、大いに笑える。
テレビに出たがっている人は、まず例外なく目立ちたがり屋だ。芸のあるなしは関係ない。目立つことが最優先である。みな、おしなべて恥じらいはない。
だが、そんな人ばかり出ているので、結局だれも印象に残らない。
複数の芸人さんが出演するライブでも同様の傾向はあり、お終いの告知タイムのときはほとんどの人が同じように前のめりになって、自分を売り込もうと必死である。
だから、やっぱり記憶に残らない。
そういう場面では、後ろに控えている人のほうが目に付くのだ。
それがヨージさんだったのだ。
無論それは狙ってした行為ではないだろう。性格上、派手な売込みができないだけなのだと思う。恥じらいを持った人だから。しかし、その慎ましさ、恥じらい、含羞がヨージさんの芸を奥深く、品よくしているのだと思う。
この特徴を、自らネタにしてしまうヨージさんのセンスに拍手を送りたい。
■笑いをとりまく悲しい現実
「好きなことは売れてからやればいいと言うけれど、売れてから好きなことをやっている奴なんかいない」
これは今回のライブの中の台詞である。(10日と16日では、発言する人物に違いはあったが、内容は同じである。)
これは、少なくともテレビ業界の笑いに限って言えば真実であろうと思う。
まことに含蓄のあるお言葉である。
■不思議な幸福感
何度かライブを拝見していて気がついたのだが、ヨージさんの作品では、死、病、別れ、といった一般的に言って不幸なできごとが、必ずと言っていいほど登場人物の身近な場所で起きている。
しかし、それらの不幸なできごとを観客がリアルに感じることはほとんどないだろう。
それはヨージさん自身の演技が淡々としていることのほかに、時間、空間を何度も行き来する複雑な構成が、喪失感や悲しみを消す役割を果たしているからではないかと思う。
そして、この複雑な構成が、観客の心の中で何かを再生させ、さらには新たなものを生み出し、ひいては、終演後に感じる不思議な幸福感へと誘っているのではないかと私は感じている。
ヨージさんは、おそらく笑いそのものとは別のところでも、観客に幸せを与えることのできる、まことに稀有な才能の持ち主なのだと思う。

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