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06/3/5夜 PARCO劇場「PARCO歌舞伎 決闘!高田馬場」
三谷潤一
「ばっ、ばっ、ばっ、ばっ、高田馬場っ」
「ぱっ、ぱっ、ぱっ、ぱっ、パルコ歌舞伎、見参っ」という唄から始まって、
これがまた妙に耳から離れないんですが、どうにも違和感がありまして、
これはどうなることかと不安を覚えてしまった冒頭。
歌舞伎はそんなに詳しくはないし、義太夫と浄瑠璃と長唄の区別もつきませんし、何言ってるか聴いたってわからないときの方が多いです。
それでも三味線の音とともに一節、の心地良さは歌舞伎の魅力のひとつだと思うんです。
たとえ睡魔に襲われたとしても、うわ、良い声だなあ、というのと、気持ち良い調子、というのがある。
それがねえ、全然かけ離れちゃっているようでしてね。
おそらく、唄や浄瑠璃であっても言ってることがすべてわかるようにしたかったせいもあるんでしょう。
でも、役者が出てきてからは一気呵成。
終わってみたら、歌舞伎役者の底力で引っ張って、ねじ伏せられた、という感じです。
染五郎の格好良さ。
亀治郎の活躍。女形の印象が強いけれど男役のときの口跡が猿之助に似てること。
勘太郎の舞台適応力、身体能力の高さ。
脇役に至るまで、脚本・演出家の役者さんに対する敬意と信頼がにじみ出てました。
早変わり、殺陣もあれば、人形劇、流行語まで実に盛り沢山。
暗転なし、素舞台から始まる演出もお見事。
このテンポの良さ、スピーディーな展開でありながら、わかりやすい、というのもスゴイ。
花道はどうするのかな?と思ってたら、下手側の客席通路が花道になっていて、通路前の席の方が足を投げ出さないように開演前、スタッフの人に頼まれてました。
500人も入ればいっぱいのスペースだから、できるんですね、何とも贅沢。
長屋が本当に狭苦しそうで、歌舞伎座や国立大劇場では出せない味でした。
勘太郎が爺さん役で登場して実の父親に悪態をつくと、染五郎、亀治郎が必死に笑いを堪えてたのがおかしかった。
まあ、そういうところでつい笑ってしまうところに
「オレは歌舞伎を少しは知ってるぞ」と周りにひけらかしたい気持ちが混ざっていたな、と反省するところです。
型で決めるところで、その大袈裟さに笑いが起きるのが、ちょっとなあ、と思ったり、心地よい調子を聞かせてくれない不満があったりして、思わず大人気ない反応をしてしまいました。
勘太郎が、コクーン歌舞伎をやってる父と弟からはスパイ呼ばわりされ、劇中でも諜報部員のような役を演じるというのも洒落がきいてます。
三谷幸喜らしさは若さの弱点を中心に据えて、それを乗り越える成長談に仕立て上げたこと。
「お前、自分と向き合うのが恐くて本気を出していないんじゃないか」と責められて
「さあ」「さあ」「さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあっ!」
見栄を切るなんて歌舞伎座じゃ考えられない設定でしょう。
個人の内面の葛藤を見せるなんて、去年の蜷川版「十二夜」くらいじゃないかなあ。
演出上、タイミングが難しいこともあってか、大向こうからの掛け声こそなかったものの、客席が手拍子をしたり、よく笑っていて、カーテンコールでは立ちながら拍手する方も多く見えました。
歌舞伎は初めて、というお客さんも結構いたんでしょうね。
スペースが限られていますから、全席一等席、と考えれば12000円は仕方がないかもしれません。それだけの価値を感じさせてくれる贅沢さです。
雑誌で見かけた「渋谷にたむろっていたりニートやフリーターだったりしている若い人にこそ観て欲しい」という紹介記事の意味も納得できる内容です。
けれども、それだけの入場料を出せる客と「観て欲しい」という若い人とは一致しないんじゃないかな?というのが、気になったといえば気になったところでありました。
さあ、来月はコクーン歌舞伎だ。
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