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06/2/18 国立演芸場中席 大喜利・鹿芝居「人情噺文七元結」
寒月
長兵衛役の金原亭馬生さんは、舞台の方が生き生きしていました。
それだけ、芝居に面白みと可能性を感じているのでしょう。今年で4年目になる鹿芝居。
噺家がやる芝居だから鹿芝居と呼ぶとか。私は昨年、大銀座落語祭に「芝浜革財布」を拝見して以来、2度目です。
行こうとする長兵衛の肩口をとん、と突くと、くるりと体が回り、行こうとしてはまた、くるりと回る。
長兵衛が見れば、文七は顔をそむけ、文七が見れば長兵衛そっぽを向く。
5度ではくどいが3度なら愉快、そんな玩具のような滑稽な所作が散りばめられてあるのは、馬生さんの考案でしょうか。おかげで動きの印象の残る舞台になり、良い演出だったと思います。
裏を返せば、立ち回りの少ない、正座をしながら科白を話す・受ける場面が多い話なのでして、それをダレさずに、聞かせていく技術は、さすが噺家の舞台、というべきでしょう。
座長としての目端の利かせ具合、バランスのとり具合、加えて男っぷりといい、馬生さんは、歌舞伎とまではいかなくとも、大衆芝居の一座は十分率いていけると思います。
その演技を受ける林家正雀さんの女形っぷりもまた素晴らしい。長兵衛の女房と、角海老の女将と、二役の演じ分けこそ乏しかったですが、そこに、正雀の女形がいる、ということが客の満足を生んでました。まさに花形。
金原亭世之介さんには世知長けた感じがありますので、思いつめる文七にはどうかな、と思いましたが、それほど違和感なく。大家役・蝶花楼馬楽さんと和泉屋主人役・古今亭菊春さんのアドリブ含みの掛け合いもまた楽しい。
角海老の若い者・藤助役の金原亭馬吉さん、邪魔にならない存在感。馬治さんはHG役だったでしょうか?(・・・登場したんです、HG。)林家彦丸さん演じるお久も、師匠に負けず、娘らしい初々しい色気がありました。
出来もよく、たいへん面白かったのですが・・・複雑な気分にもなりまして。
つまり、こういうわけです。
鹿芝居は、言ってみれば、蕎麦屋のカレーライスでしょう。意外においしい、でも、それは、あまり期待してないからこそ生きる味です。いかにおいしくても、裏メニューを超えません。
もっと言ってしまえば、これは幇間の芸だろうな、と。つまり、旦那の機嫌を損ねちゃいけない。あんまりやりすぎちゃうと「分限をわきまえろ」なんて横槍が入っちゃう。二流の芸を運命づけられている。それが鹿芝居の限界だ・・・と、こう思ったわけです。
しかし、やってる本人たちにしてみれば、そんなこと、最初っから、織り込み済みなのかも知れません。
幕間に、寿獅子の獅子舞を入れて、縁起物として「めでたさ」を強調しているのは、そのうるさ型の横槍を入れさせないための予防線を張っているのかも知れない。
だとしたら、馬生師匠、なかなかの戦略家です。縁起物は「そういうものだ」と言われてしまえば、誰もケチをつけることができません。恒例行事にもしやすい。そうしていくうちに、鹿芝居が定着し熟成していく。まずは橋頭堡を作ること。
二流を逆手に取りながら、見事なスタンスの取り方だと思います。馬生師匠、素人芝居で終わらせるつもりは毛頭ない、と、お見受けいたしました。
まあ、正直言ってしまえば、今は無性に蕎麦が食べたい私です。カレーもいいけど、たまのレパートリーだからいいんであって、毎日飽かずに食べられるのは、今のところ蕎麦に軍配があがります。
毎食カレーに耐えられる味が出来たときが、鹿芝居の一本立ちだと思いますが、その道のりはまだちょっと遠いかな。
同じ顔ぶれで次はじっくりと、心置きなく落語を聞きたい、と、そう思いつつ演芸場を後にしました。
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