しもきた空間リバティ 「絹9」

新宿末広亭「余一会 六人の会プロデュース
『明日の寄席』昼の部」
下北沢本多劇場「志の輔らくごin下北沢」vol.12文楽篇 初日
しもきた空間リバティ「絹9」
倉庫の二階 「晴乃ピーチク大漫談会」
横浜「Thumbs Up」 なぎら健壱ライブ
古本酒場コクテイル 「ふちがみとふなとライブ」
築地ブディストホール 立川談春「立川談春独演会」
日暮里サニーホール 柳家三三「月例 三三独演 第1回」
三鷹文鳥舎 柳家紫文「みたかdeきいたか」Vol・6
よみうりホール「第13回東西落語研鑽会」
お江戸日本橋亭 たま・南湖二人会2days
有楽町よみうりホール「談志好みの芸人大全VOL.2」
紀伊國屋ホール「林家たい平独演会初夏」
STAR PINE’S CAFE 
寒空はだかソロツアーin東京「トコナメの島セントレア」
新宿紀伊国屋ホール「林家たい平独演会」
新宿紀伊國屋ホール 「林家たい平独演会 初夏」
十番会館「麻布十番だるま天国」
国立演芸場「三宅坂で乱歩。」
大阪能楽会館 志の輔らくご「能楽どーや」
かもめ座「カバレットシネマinかもめ座」
大和屋能舞台
「第4回大和屋花舞台最終公演 花に遊ばば 「親子茶屋」の世界」
ピッコロシアター「米朝・小米朝親子会」 
大阪・天王寺茶臼山舞台「年越しオールナイト落語会」
内幸町ホール「すわ親治ひとり舞台5」

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05/04/16 横浜「Thumbs Up」 なぎら健壱ライブ
紀美子兄

4月16日、なぎら健壱53歳の誕生日にして、未明に高田渡の亡くなった日でした。
「あと2時間ばかり早く逝ってくれれば坂崎の誕生日で、まことに目出度かったのに」
と客席を沸かせて始まり、しばらく高田渡との思い出を語った後、
「もうこの話はこれっきり」
と、歌に突入していったのですが、なんせ、なぎらのライヴはトークの方が長く、また、
「自ら勝手に『師匠』と決めて惚れまくって来た人」
の死のあとだけに、幾度も渡さんの話題に立ち戻りながらの2時間半でした。
それにしても、
なぎら健壱は落語家ですねえ。
落語を語らない落語家。
こんなこと言われて、ご本人さんはあまり嬉しくも無いでしょうが。
落語家ってのは、すでに書かれた作品を記憶し、
語りと仕種の鍛錬を重ねたところに初めて成立する、
他人の作品を前提とした二次的な表現者ではなくて(もちろんそれらの訓練は欠かせない作業ではありましょうが)、
「語りたいこと、言葉を通して伝えたい何か」を自分の中に抱えた、いわば卵としての落語家が、
落語と言う形式、お座敷を借りることによって自己を表現し、「落語家」と称されるようになる。
で、彼がなぜ落語を選んだのかというと、落語の中には自分の語りたい事があり、語りたい事のすべてを落語(という形式)の中に盛り込むことができるから。
落語あっての落語家、じゃなくて、落語家あっての落語。
こういう順番なんじゃないでしょうかねー。
落語家なぎらは、たまたま落語を語らないだけ。
私の好きなラグビーの世界には、かつて、
「小国ウェールズが世界レベルのチームを維持し続けられるのは、あの国に栄える国技にして唯一のスポーツがラグビーで、身体能力の優れたすべての男が、幼い頃からラグビー選手のみを夢見て精進するからなのに対し、ちびっこ日本チームがいつまでたってもお呼びでないのは、相撲と柔道に人材を取られてしまうからである」
なんて話がありましたが、日本に栄える国技にして唯一の演芸が落語だったら、
なぎらなんて、落語家になるしかないような、そんなお方であることを再確認した一夜でありました。

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