05/04/16 横浜「Thumbs Up」 なぎら健壱ライブ
紀美子兄
4月16日、なぎら健壱53歳の誕生日にして、未明に高田渡の亡くなった日でした。
「あと2時間ばかり早く逝ってくれれば坂崎の誕生日で、まことに目出度かったのに」
と客席を沸かせて始まり、しばらく高田渡との思い出を語った後、
「もうこの話はこれっきり」
と、歌に突入していったのですが、なんせ、なぎらのライヴはトークの方が長く、また、
「自ら勝手に『師匠』と決めて惚れまくって来た人」
の死のあとだけに、幾度も渡さんの話題に立ち戻りながらの2時間半でした。
それにしても、
なぎら健壱は落語家ですねえ。
落語を語らない落語家。
こんなこと言われて、ご本人さんはあまり嬉しくも無いでしょうが。
落語家ってのは、すでに書かれた作品を記憶し、
語りと仕種の鍛錬を重ねたところに初めて成立する、
他人の作品を前提とした二次的な表現者ではなくて(もちろんそれらの訓練は欠かせない作業ではありましょうが)、
「語りたいこと、言葉を通して伝えたい何か」を自分の中に抱えた、いわば卵としての落語家が、
落語と言う形式、お座敷を借りることによって自己を表現し、「落語家」と称されるようになる。
で、彼がなぜ落語を選んだのかというと、落語の中には自分の語りたい事があり、語りたい事のすべてを落語(という形式)の中に盛り込むことができるから。
落語あっての落語家、じゃなくて、落語家あっての落語。
こういう順番なんじゃないでしょうかねー。
落語家なぎらは、たまたま落語を語らないだけ。
私の好きなラグビーの世界には、かつて、
「小国ウェールズが世界レベルのチームを維持し続けられるのは、あの国に栄える国技にして唯一のスポーツがラグビーで、身体能力の優れたすべての男が、幼い頃からラグビー選手のみを夢見て精進するからなのに対し、ちびっこ日本チームがいつまでたってもお呼びでないのは、相撲と柔道に人材を取られてしまうからである」
なんて話がありましたが、日本に栄える国技にして唯一の演芸が落語だったら、
なぎらなんて、落語家になるしかないような、そんなお方であることを再確認した一夜でありました。
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