|
05/04/19 大和屋能舞台
「第4回大和屋花舞台最終公演 花に遊ばば 「親子茶屋」の世界」
未満
大阪・ミナミど真ん中・宗右衛門町。
ディープな界隈(歌舞伎町を思い出して)に、
巨大な要塞のようないでたちで、それは、ドドーンとそびえ立っておりました。
入り口はどこまでも敷居が高そうなたたずまい。
おそらく私には一生縁がないだろう、高級料亭。
しかも421坪の土地に地下2階・地上5階建てという巨大さに驚愕。
そんな入り口に、目指す「大和屋花舞台」の幟が。
わらわらと一般の人が建物の中に吸い込まれていく。
安堵しつつ、私も入場成功。
創業130年の「大和屋」。
最初はお茶屋(おき屋?)のちに料亭として営業。
バブル期の大手企業お偉方・もちろん米朝師も通われたという店。
この度、店をたたむことになり、(実際には数年前にもうクローズしているそう。)
シメをくくる記念イベントとして、今回の会が実現。
靴をぬぎ、案内されるまま2階にあがれば、本物の能舞台がドーンと構えている。
それに面して客席は100畳ほどの大広間。なんじゃ、ここは?!
さながらプライベート能舞台・・・ありえないっ!
TVカメラもあちこちにスタンバイ。
何とか柱がじゃまにならない空いた場所をキープ。
即座に差し出される座布団。
第一部:落語会
桂 歌々志「狸賽」でスタート。
桂 小米朝「親子茶屋」
熱の入った狐釣りには、会場から思わず拍手が起こる。
会場も噺家もはまりすぎの何とも贅沢な成功例。
これはちょっと伝説になりそう。
桂 米朝「稲荷車」
今日の国宝は調子よさそう。
途中で間が空くこともなく、集中して噺の世界に身を預けられました。
車屋をだましてタダ乗りする男と、その男の落としていった大金で大盤振る舞いする車屋のそれぞれの人間くささを、軽快で楽しく見事に描く国宝。
お稲荷様の狐との対比で、切ないほどの人間の業が浮き彫りに。
第二部:素浄瑠璃
竹本綱大夫(つなたゆう)・鶴澤清二郎(親子)による「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)」狐火の段。
浄瑠璃も初めてなら、内容も初めて。
武田信玄と上杉謙信のそれぞれの子ども同士のロマンス。
ロミオとジュリエット・川中島版といったところか。
そんな解説を把握したところで、浄瑠璃の世界へ。
長唄・琴・三味線のインプロビゼーション。
義太夫、文楽とも言ってたし、浄瑠璃とどう違うの?そもそも浄瑠璃って?
疑問を抱えたまま。
歌や声・楽器の音色で人間の感情を描き分けるその芸は奥ゆかしく、素晴らしい。
司会・小米朝が会場に即行アンケート。
落語より、浄瑠璃経験のある人の方が拍手が大きい。
どおりで、いつもと少し雰囲気の違う客層。
隣のおばさんのフラッシュ付きカメラが邪魔。携帯も鳴る。
中入り
第三部:座談会
女将を囲んで桂親子・竹本親子が。
館内に能舞台ができたのは昭和40年。清二郎氏と同い年。
(なんぼしましたん?という国宝の問いに)その当時で5億円というのにクラクラ。
今では手に入らない木材や職人仕事。
それも、芸妓の芸に対するモチベーションの向上を図ってだとか。
女将の考えること、スケールでかすぎっ。
お茶屋や、宗右衛門町界隈のすたり、文化度が低くなった大阪、街がごった煮になってしまった悔しさ、明治〜昭和の街の描写を交えながら国宝、竹本氏、女将が語るそれは、凄みが。
高度成長期時代の勢いや粋で元気に色づいていた当時の町並み、人の情景がありありと浮かぶ。
すでに機能していない、生気の抜けた館内からは、それら亡霊が彷徨っているような、ちょっとした妖気さえも感じる。
「本来、秩序を優先すべき町づくり」、
「上方にはソフトがあるけどそれを演じるハードがない」とは小米朝。
店内の誂えがそれは素晴らしい。
6畳の巨大床の間に飾られた書。
そのたたみのヘリ部分は女将が着物に合わせて・・・云々。
(見とれていたらお店の人が教えてくれた)
能舞台のバックの松の絵は日本画家の大家、前田青邨画伯によるもの、とても前衛的で現代アートに通じるものが。
能舞台の会場と廊下を隔てる、巨大パーテンションも一体どこぞの建築家が!というようなモダンなデザイン。
何気に飾られている日本画、アイアンの照明、エレベータホールまわりが昭和40年代そのままなちょっとチープな姿なのはご愛敬。
演目が狸から始まり「キツネ」づくしだった会。
空間も演者も、奇跡のような会で、
キツネにつままれたとはまさにこのことかなぁ。
top |