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2005/05/14 三鷹文鳥舎 柳家紫文「みたかdeきいたか」Vol・6
タッキー
我が家を出る。中央線が遅延しているとの知らせ些か不安を感じる。
しかし四時五分に三鷹に無事到着する。
胸を撫でおろすと同時に下連雀なる地名が気にかかった。
確か明暦の大火で神田・連雀町あたりの人々が、強制移動させられた処であることを思い出した。
ここで江戸の昔にタイム・スリップして「文鳥舎」に向かう。(勿論、妻の脅迫?で「タイヤキ」を買いました)
柳家小寿々舞台へ♪梅は咲いたか桜はまだかいな・・・で始まる唄が聴こえてきた。
季節外れの小唄?で始まることにユウモァを感じた。
中々上手な入れ口なのに感心した。
(実は長唄・新内・常磐津・小唄・端唄・俗曲・都々逸などの区別がつかないのである、邦楽初心者なのだ)
美貌である事は得なことなのか邪魔になるのかあぁ。
小寿々さんよ、「東雲節」のストライキをきいたのか記憶に無い。唄いました?
紫文師匠登場。
脂ぎった三亀松師のごとき三味線・漫談を想像していましたが、大いに間違えていたことをお詫びする次第である。
其処には往年の上岡竜太郎もどきのクレバーな雰囲気を持った人がいた。
常磐津の三味線方として歌舞伎座に居たことを遠慮勝ちに自慢話していた事面白し。
ハテサテお得意の「長谷川平蔵」シリーズに入る。
長谷川平蔵が大川「両國橋」のほとりを歩く。
橋の上で飛脚・乾物屋・妖しき女性に出会う。
特に飛脚屋の場面が印象に残った。
話がタイム・スリップして「クロネコヤマト」「佐川急便」に見事すり替っていた。見ての楽しみにして詳しくは書かない。
(両國橋を架けた由来、両國の由来を話してくれた。川向こうの大火で死人を多く出したので橋を架けた、そして江戸城防備の為、大川には橋を架けなかった。両國とは下総の国と武蔵の国である。若い人にも解り易く説明した手段に拍手!!)
上記Liveを知るきっかけを作ってくださったTBSラジオ永さんの「土曜ワイド」及び芸人発掘者木村万里さんに感謝をする次第である。
ナニシロ紫文さんを知ったきっかは永さんの番組であると言う人々が会場に凡そ三分の一いた。
(紫文さんが開演の前に観客になぜ「みたかdeきいたか」を知ったのとの質問に対して)
*感じた事。紫文師、途轍なく怪しい曲者。☆小寿々さん、兎角可愛くて妖しい。
打上げに参加。文鳥舎の人は限りなく優しかった。
腰痛の為、足腰定ならぬ小生に酒・おつまみを運んで下さり、無くした入れ歯を見つけて下さった事にも感謝する次第です。
京都から参加した?和服美人の心意気に驚く。
「京女」此処にありと気勢を上げていた。
(紫文師、京都公演の勧進元になるとか)
つよいなぁ・・・最近の女性は。
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