●2016/12/1.木日本橋劇場「神田松之丞 師走独演会 /義士とお化け」
岡町高弥
いやぁ良かった。絶品だった。
12月1日、「神田松之丞 師走独演会 “義士とお化け」(日本橋劇場)に聴き入った直後の感想だ。
客が前のめりで惹き付けられる、そんな光景を目にするのはは年に一度あるかないか。
まず、講談の小朝と呼ばれて将来を嘱望されていたにもかかわらず、若くして脳出血で倒れてしまった神田山裕を語る。もし、山裕が生きていれば、講談の世界も随分変わった、山裕こそ、山陽になっていただろうし、何より芸は一流なのに不運な神田愛山先生も変わっていたに違いないと。山裕の死が講談の世界を大きく変えたかと思うと、とかくこの世はままならない。このまくらが秀逸。
ままならない世界を語ることこそ、講談なのだ。
「吉原百人斬りより お紺殺し(フルバージョン/新演出)」は、顔に痘痕を残した田舎のお大尽佐野次郎左衛門が吉原の花魁八ツ橋に惚れ込むが、実は八ツ橋には情夫がいて、一途な恋は憎しみに変わり吉原百人斬りにいたるまで一気に聴かせる。
いったん、松之丞が高座を降りると舞台には雪が降る。
再び上がって、吉原百人斬りのはるか前、次郎左衛門の父親である次郎兵衛の悪業、戸田の土手で元女房のお紺を殺すまでの凄惨なやり取りをたっぷり語る。
歌舞伎、籠釣瓶花街酔醒(かごつるべ さとのえいざめ)の原典ともいうべき講談の持つ底知れぬ魅力を味あわせてくれた。
思わず、「松之丞」と声をかけたくなった。
その余韻に浸るまもなく二席目は、「赤穂義士銘々伝より 神崎の詫び証文」に入っていく。愛山先生より、「赤穂義士の魅力は、“別れ”にある」と聞かされ、なるほど愛山先生もたまにはいいこというな感心した、と場内を笑わせる。浅野内匠頭公の仇を討つべく江戸に向かう途中、酔っ払いの雲助丑五郎に絡まれた神埼与五郎。
大事の前の小事、グッとこらえて雲助丑五郎に謝り詫び状を書く。後年、詫び状を書いた者が赤穂義士と知った雲助丑五郎、自らの行いを恥じて泉岳寺に向かい、墓守になったというお話。何とも清々しい講談で気持ちが晴れやかになって涙が出そうになる。なるほど松之丞の語りが完成されているからこそ涙腺を刺激されたのだ。
対照的な二つの講談を存分に聴かせる力量。440人の会場をほぼ満員にさせる動員力。なんのバブルですかね、と笑う松之丞。
果たしてどこまで行くのか当分、目が離せない。
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