木村万里 Wrote

1977年〜、
  タウン誌も編集してみた

1993年下町演劇祭で、
  お笑いライブをやってみた

昇太真打ち記念本
カレーライスの本
ラ・ママ5周年
マトモ芸・フシギ芸
お席亭さんシリーズ1
お席亭さんシリーズ2
お席亭さんシリーズ3
お席亭さんシリーズ4
近藤志げる新聞掲載記事
雑誌「アミューズ」掲載
オピニオンマガジン
「ばんぶう」
LB中州通信

 

縁の下の極楽

今までいろんなライブにいろんな立場でかかわってきました。
ある時はプロデューサーとして、ある時は広報として、
ある時は制作として、ある時はライターとして、
あるときはお客として、あるときは編集者として、
ある時は評論家として、あるときは受付・チケットのもぎりまで、
いろんな立場に身をおくことによって、角度を違えて勉強をしてきました。
名前を出して、いわゆる縁の上で動くこともありますが、
縁の下の力持ちふうに動いてきたことの方が多かったような気がします。
で、えらいねえ、なんてほめられることがあるのですが、
それはちょっと当たっていなくて、日本人が好きな謙譲の美徳のように見せかけて
実は、ほんとは、縁の下で動く極楽というものがあることを
ふふ、私は知っています。
世の中、縁の上より、縁の下の方が面白い。味がある。
そんなたしなみが大人の醍醐味とも言えましょう。
その方が、いろんな声が素直に耳に入ってくるし、楽しい。

■UPのこころ
高校生時代、お付き合いしていた小林秀雄崇拝者の、年からいくとかなりませた彼氏から言われたことがありました。
「今のお前が素晴らしくなければ、過去のお前も素晴らしくないのだ」
なんかこういうふうな意味のこと。
学校帰りの道を歩きながら言われました。
どっかから引っ張ってきた小林秀雄の言葉に違いない。
でも、ま、それはどうでもいい。
要するに、今の自分がなにかを掴んでいなければ、今につながらない過去を語ってもしょうがないよね、と。
その頃、過去ったって、たかだか十数年・・・。
ところがここへきて、そんなこと言ってられない物理的な問題が。
お部屋の空間圧迫。
紙資料はどんどん燃えるゴミに出してしまいたい。
なので、さまざまなスタイルでかかわってきた今までの公演のチラシUP保存。
「編年体(へんねんたい)」というスタイルを御存じですか?
年月日順に事項を並べていく記述方法。
これがあまり好きではないので、押入から出てきた順番、思いついた順。
物事の連関って、時間順につながっていくとは限らない。

まずは、「お席亭さんシリーズ」です。
直接的動機は、ずっと泊まり込みで原稿取りに伺っていた
色川武大(またの名を阿佐田哲也)さんが、
「僕は作家よりお席亭さんになりたかったんだ」
と常々おっしゃっていて、いつかお席亭さんになっていただこう、と
思っているうちにお亡くなりに。
色川さん没後1年して、願い続けていた企画が実現の運びになりました。
私の裏コンセプトとしては、色川先生に捧げると、心の中で思っていました。
1990年と91年の2年で4回。
広報、制作、経理、バイトの手配、打ち上げ予約、チラシデザイン、通行手形手作り、
DM発送、出演交渉、すべて一人でやりました。
よく倒れなかったものです。いつも実地で独学独習です。あちこちにさぞや迷惑かけて。
元気だったなあ・・・
この後、ライブ燃え尽き症候群みたいになってしまいました。
企画をたてる前に、ノートにワープロでこんな意気込みをを記していたのを発見。
決意のほどがうかがわれます。

マリ共和国 平成イベント案
 その一 若手新人の育成と発表の場を
 その二 時・空間の新しい使い方
 その三 普段、対象にならないお客の開発
(いま、日本におけるイベントや娯楽は特殊な金持ちか、学生・OLという若い人相手だけになりすぎている。大人の働いている階層の鑑賞にも堪え、大衆性のあるものが少なすぎる)
その四 心のこもった企画を立て実行する人材の養成
その五 テレビや知名度に頼らないライブ感覚あふれる企画を
その六 企画者も出演者も観客も三位一体となって喜べる企画を
その七 要するにいい観客づくり、ネットワークづくり
その八 たゆまざる広報活動
以上のうち、最低三本はクリアすること
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いまとあまり変わってない。
人生、金太郎飴か。

 

 

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