1977年〜、
  タウン誌も編集してみた

1993年下町演劇祭で、
  お笑いライブをやってみた

昇太真打ち記念本
カレーライスの本
ラ・ママ5周年
マトモ芸・フシギ芸
お席亭さんシリーズ1
お席亭さんシリーズ2
お席亭さんシリーズ3
お席亭さんシリーズ4
近藤志げる新聞掲載記事
雑誌「アミューズ」掲載
オピニオンマガジン
「ばんぶう」
LB中州通信

 

■お席亭さんシリーズ 3 
「ラジオに愛をこめて」

1991年4月1日〜10日■
ラジオ大好き人間が一日お席亭で日替わりライブ10日間
ホラ、やさしい声がきこえてくるよ・・・


月刊情報誌『シテイロード』 
世界は寄席小屋 人類は皆芸人
<13>ラジオに愛をこめて〜


1991/3   木村万里

 湾岸戦争が始まって私は一発選局の小型ラジオを買った。
イヤホンも使えるし、外部スピーカーにても聴ける。
いやあー、便利になったものだ、と昔のトランジスタラジオ時代を思い出した。
深夜、こっそり勉強のふりをしてラジオを聴いていた。
60年代、海外のポップスはほとんどラジオで知った。
思えば私が演芸の世界に足を踏み入れるきっかけになったのはラジオだった。
大阪へ週に一度やって来てパーソナリティーを努めていた立川談志師匠の番組は、それはそれは真摯なものだった。
日頃の毒舌はどこへやら、マンツーマンで語りかける話芸の天才の喋りは心に染みた。
どうも、視覚より聴覚の方が人間の本質をとらえる力を持っているように思うのは私の偏見だろうか。
思えば、落語の黄金時代はラジオの黄金時代でもあった。
イマジネーションをふくらませる能力、集中力によって落語は支えられている。
留守番電話に吹き込まれている声は、意味以外のいろんなことを教えてくれる。
4月1日〜10日、「ラジオに愛をこめて〜ラジオ大好き人間が一日お席亭で日替わりライブ10日間」を行う。
ベテラン、ほやほや、がいりまじっての10日間で、リスナーがパーソナリティの生の舞台を見られる空間が出現する。
できることなら10日間通しの通行手形(15000円)を買って見比べることをおすすめする。
寄席が日々刻々と変化する世情のアラで飯を食う芸人たちのお遊び場所であるなら、ラジオもまさにそうあるべきだろう。
テレビのように驚くほど多くのスタッフとエネルギーのおかげで作られているのと違って、こまわりがききパーソナリティーの自由になるラジオはかなりのお遊び場所。
ウッディ・アレンの『RADIO−DAYS』のように懐古するものではなく、より雑にノイズいっぱいに過激になれる媒体であってほしいラジオ。
そして、なぜか批評したり冷たく分析、揶揄してしまうテレビという媒体に比べて、温かみのある媒体、ラジオ。
私たちはなぜテレビに向かっている時のほうがラジオを聴いている時よりよそよそしくなるのだろう。
テレビ出演者を知らず知らずのうちに酒の肴にしてしまうのはなぜだろう。
芸人の演じる作品世界に決してのめりこむことなく、芸人の汗やいいまちがいをチェックしてしまうのはなぜ?
落語がテレビでむずかしい理由はここいらにある。
落語家という一人の男性の実体を消し去って作品世界に浸ることができないのだ、テレビでは、どうしても。


4月1日(月)席亭 永六輔「六輔寄席」
永六輔 遠藤泰子 松島トモ子 マルセ太郎 小泉源兵衛 関谷浩至ディレクター

4月2日(火)席亭 高信太郎「浅草キッドのすっぽんぽん寄席」
高信太郎 浅草キッド 林美雄

4月3日(水)席亭 立川志の輔「志の輔ラジオ気分がいい!寄席」

立川志の輔 小林千絵 ダックス小峰

4月4日(木)席亭 大沢悠里「大沢悠里のゆうゆうワイド寄席」
さこみちよ 東京ボーイズ 中島英雄 

4月5日(金)席亭 滝大作「浅草レビュウ寄席」
白石冬美 内藤陳 立原千穂 魁三太郎 シュガーシスターズ 薗田憲一とデキシーキングス

4月6日(土)席亭 梶原茂「梶原茂の本気でDONDON」
梶原茂 山口理美 ザ・ニュースペーパー「都知事選投票前夜、東京の顔は?」

4月7日(日)席亭 爆笑問題
「オモスルドロイカ帝国渋谷NOW!in SPACE107」

午後3時開演の部
爆笑問題 本間茂 AKIKO 電撃ネットワーク ジョークアベニュー ARARA フリークス ベン村さ来 雨空トッポライポ ブランドル びよーん せーじけーすけ キャミソール 
K2 
ゲスト審査員 滝大作 石川雄一郎 ダンカン 
司会 楠美津香
構成・企画 柿木康宏 西條昇 市岡昌彦

4月7日(日)席亭 笑福亭鶴光「笑福亭鶴光のゴールデンアワー寄席」
午後7時開演の部
笑福亭鶴光 シューティング 田中美和子 佐伯怜子

4月8日(月)席亭 小林のり一「冗談音楽ここにあり寄席」
あのジャイアント吉田とそのバンド 幻楽団

4月9日(火)席亭 高田文夫「ラジオビバリー昼ズ寄席」
高田文夫 松本明子 桂竹丸 春風亭昇太 春風亭勢朝 柳家小菊

4月10日(水)席亭 山藤章二「団しん也のモノマネティーメント」
山藤章二 団しん也とそのバンド 高田文夫 立川志の輔 

『放送批評』3月号
ラジオのページ radio page

話芸に出会える場所 1991/3    木村万里
農耕民族である日本人の本来の生活、朝型の生活にもっていこうと何度も試みたが、ついにダメで、午後からしかエンジンがかからない。
と、当然、夜更かしが続き、テレビの深夜番組を見る。
中にはスポンサーがついてない番組があったりして自由闊達、いつまで続くか、どう変化するか、が楽しい。
 カット割りも番組の始まりはオロオロしていて、それがかえって新鮮でスリルがある。
そんなある時、ふと、CDをテープにダビングする合間にラジオを聞いてみた。
これがなかなかに面白い。
深夜、大林晃さんの語りにのって森繁久彌の「銀座の雀」なんぞ流れてきた時は、当方、それほど年ではないが、ジーンときた。夜のしじまに、久しぶりに浸れたという感じ。
一歩外へ出ればコンビニエンスの煌々とした明かりがそこここにあることを忘れさせてくれた。
正しい夜の闇の中へトリップできた。
さて、私は、『東京かわら版』という、落語、浪曲、講談などの日本で唯一の月刊演芸情報誌を手伝っているのだけれど、元NHKの中西龍さんを初めとして、しんみりじっくり邪魔にならぬ語りにはぐっとくる。
お正月はNHKの『ラジオ深夜便』にて、柳亭痴楽の痴楽綴方教室や榎本健一のブン隊将や徳川夢声の語りを聞いて過ごし、しみじみとしたお正月が過ごせた。
思えば、落語の黄金時代はラジオの黄金時代でもあった。全国ネットで落語は流れていった。上方と江戸のローカル芸が全国に流れたのはラジオの力だった。
60年代、わが青春まっ盛りは、ラジオから海外の音楽を仕入れた。
落語を聴くようになったのも、そもそもは大阪で週に一度パーソナリティをつとめていた立川談志師匠の喋りの魅力に参ったからだった。それは♪唐獅子牡丹のオープニング曲から始まり、笑いありシンミリありの時が真摯なお喋りでつづられていた。
広がりと深さも感じさせ、しかもパーソナルにお喋りできる人達がこの頃、大勢いたように思う。
「声には知性が出る」と言ったのは、写真家の土門拳さんだったが、留守番電話が普及して、録音されてる声を聞くたびに、かなりアタッテル、と思う。
ましてや不特定多数を相手にCMをはさみながら時間の管理を頭に入れつつ聴取者からのハガキをさばきゲストを丁重に扱い、更にその中に自分の味を出していくというのはワンマンバスの運転手のような忙しさと職人芸が要求される。一体、頭の中はどうなってるんだろうと私などは思う。
そこでこんなライブ10日間の企画を考えつきました。
「われらラジオ派」というテーマで、ラジオを愛しラジオでメッセージを伝える仕事をしている人達に、そのリスナーのためのライブをまとめてやっちゃおうと。
4月1日〜10日、新宿西口スペース107が会場で、出演および構成を受け持つお歴々は、永六輔、大沢悠里、梶原茂、高田文夫、立川志の輔、滝大作、とラジオで一言の方々。
この原稿を書きながら10日間の案を練ってる毎日です。ラジオはこまわりがきいて番組どうしの横のつながりもわりにあるのでこんな企画も立つというもの。
ウッディ・アレンの映画に『RADIO DAYS』というのがあったが、単なるセピア色のラジオ懐古ではなく新しいラジオの情報性、娯楽性が追求できればと思う。
話芸を生で同じ空間で聞く10日間。
リスナーが足を運ぶ10日間。
企画自体が力を持てば、地方局の人気パーソナリティが集まり、地方色豊かなお喋りを見せてもほしい。
だって東京ほど情報が少ない場所はない。

地方は、その地と東京の情報と二つ楽しめてる。
一つの局で朝から晩まで、北海道から沖縄までの局アナ全員集合大放送というのを、どこかやってもらえませんかねえ。
石川啄木は停車場へナマリを聞きに行ったらしいけど、わたしゃ、ラジオで聞いてみたい。
(お笑いライブプロデューサー)

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