●1977年〜、
タウン誌も編集してみた
●1993年下町演劇祭で、
お笑いライブをやってみた
●昇太真打ち記念本
●カレーライスの本
●ラ・ママ5周年
●マトモ芸・フシギ芸
●お席亭さんシリーズ1
●お席亭さんシリーズ2
●お席亭さんシリーズ3
●お席亭さんシリーズ4
●近藤志げる新聞掲載記事
●雑誌「アミューズ」掲載
●オピニオンマガジン
「ばんぶう」
●LB中州通信
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平成7年(1995年)雑誌「アミューズ」掲載
随分、回り道をしたような気がする。
実を言うと、野口雨情をネタにアコーディオンを弾く漫談家がいると聞かされていたのだが、
見逃してしまい、とうとう1年たってしまった。
見たい見たいという思いが通じたのか、ようやく、10月30日、東京なかの芸能小劇場にて、
「志げるとアコーディオンと童謡と」を見ることができた。
いまさら童謡でもあるまいにと思われるかもしれないが、俺の場合、どういうわけか、
昔から「あの町この町」や「しゃぼん玉」といったどこか悲しげな童謡が耳について離れなかった。
そう、「ナツメロコンピュータ」の異名をとる童謡漫談家・近藤志げるなのである。
客席は思っていた以上に年齢層が高かった。
しかしながら、これがまた実に反応がいいのだ。
前半は、近藤志げるが神戸で育った思い出を懐かしい唄の情景にのせて語ってくれた。
近藤志げるが歌い出すたびに客席から声が聞こえ、それが唄になり静かな合唱となる。
この日来られた多くのお客さんにとって、近藤志げるが歌うナツメロこそ、まさしく原体験の唄なのだ。
唄は、いつしか俺もよく知るところの「同期の桜」となっていった。
「この二つの唄を作ったのが誰だかわかりますか。相反する童謡と軍歌を作った方が、西条八十なのです」
と近藤志げるが言う。
「軍歌なんか作ってほしくなかった。でも、軍歌は唄になりませんと頑なに作らなかった人がいるんですね。
それが野口雨情です」
と言って前半の幕となる。
なんとも、鮮やかな展開である。
さて、後半は、野口雨情の人となりを喋りながら雨情の残した名曲の数々を披露してくれる。
「赤い靴」「青い眼の人形」、「カラなぜ泣くの」の「七つの子」、おなじみ「証城寺の狸囃子」「あの町この町」
「しゃぼん玉」と、すぐに口ずさむことのできる唄を聞かされると妙に心が躍るものだ。
唄の力はあなどれない。
最後に、みんなで合唱した「砂山」(北原白秋)も忘れられないいい唄だった。
大人を相手にした格調ある真摯な舞台に出合えて本当に気持ちがよかった。
余談だが、近藤志げるに野口雨情をやれよと勧めた仕掛け人は、驚くことに立川談志だそうだ。
その辺りのことは「中州通信11月号」に詳しく載っているのでよかったら読んでほしい。
近藤志げるは、どんなささやかな会にでも出向いてくれるそうだ。
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