●1977年〜、
タウン誌も編集してみた
●1993年下町演劇祭で、
お笑いライブをやってみた
●昇太真打ち記念本
●カレーライスの本
●ラ・ママ5周年
●マトモ芸・フシギ芸
●お席亭さんシリーズ1
●お席亭さんシリーズ2
●お席亭さんシリーズ3
●お席亭さんシリーズ4
●近藤志げる新聞掲載記事
●雑誌「アミューズ」掲載
●オピニオンマガジン
「ばんぶう」
●LB中州通信
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平成13年(2002年)医療と福祉・介護の“あす”がわかる
オピニオンマガジン「ばんぶう」12月号STAGE 掲載記事より
アコーディオンを手に、懐かしのメロディーを歌う近藤志げるの舞台は、
うわさに聞いたとおりうまかった。
情熱と熱気に満ちていた。
それだけではない。
客席を埋める人たちの心情に寄り添い、心の起伏を共にする優しさにあふれていた。
当日のステージ(東京・なかの芸能小劇場)を体験した人たちは、久しぶりに「芸」のもつ
カタルシスを存分に味わったのではないだろうか。
近藤は噺家たちが登場する寄席に立ち、アコーディオンによる童謡漫談を演じたことで
注目を集めた。
関西から上京。
落語家の立川談志と出会ったのがきっかけだった。
童謡、軍歌、歌謡曲。
持ち歌が1万曲を超え、「懐メロコンピュータ」の異名をとる、年期の入った芸人なのである。
今回の出し物は「笑いと叙情の西条八十」。
これまでの二度の単独公演は「戦争は歌になりません」と軍歌を作らなかった
野口雨情の作品を取り上げてきた。
今度の西条は童謡、歌謡曲、軍歌など人々が求める歌を臆せず作ってきた詩人で、
作詞の大家だった。
ダンディで知られる西条だが、若い頃は傾いた生家を支えようと株取引などの手を染め、庶民生活の浮沈としたたかさを知っていた。
その体験が歌の世界にも色濃く表れている。
「かなりや」などの童謡に始まり、「東京行進曲」「支那の夜」「蘇州夜曲」「誰は故郷を思わざる」
などの歌謡曲も作った。
「愛して頂戴」の作者はまた、戦中に「若鷲の歌」などの軍歌も手がける。
あり余る才能が時代の波頭を次々にかすめ取っていくような勢いだった。
戦後は早大教授を離れ、作詞に専念して「トンコ節」「青い山脈」「王将」「この世の花」などを発表。
作った歌詞は生涯2500曲を超えるという。
近藤は、「西条八十は大衆の心と共にあった」という。
流行歌が歌い継がれてきたわけを、ヒットメーカーの西条は肌で知っていたに違いない。
「すぐれた童謡というものは、長い人生に二度表れる。
一度目は子供の歌として、二度目は大人になってからの歌として」
こう書いたのは、寺山修司だった。
童謡も歌謡曲も軍歌も、人生の軌跡とと喜怒哀楽の情景を確かめ、
その時間を再び生き直すために歌うのだ。
だから、近藤の舞台は客席と一体になり、涙のにじんだ歌声で満たされるのではないか。
北嶋 孝
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