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大銀座落語祭「春風亭昇太の牡丹燈籠」
銀座ヤマハホール 「昔昔亭桃太郎 柳家喜多八
 三遊亭白鳥 三人会・ おす。ひく。ぬく。」
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円盤「円盤巌流島」
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練馬文化センター小ホール
「白鳥&喬太郎 二人会 
デンジャラス&ミステリアス<ワルの法則>」
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06/6/16 練馬文化センター小ホール
「白鳥&喬太郎 二人会 
デンジャラス&ミステリアス<ワルの法則>」

寒月

空気は湿気を孕み、いつ降り出してもおかしくない練馬の空だった。
テーマはワル。
オープニングトーク。喬太郎、白鳥、二人の考える「ワル」について話が盛り上がる。

喬太郎「”ワル”と”アク”とは違うと思うんですよ」
白鳥「ほー」
喬太郎「アクは、人間誰しもが心の底に持っている部分でしょ?
ワルは言ってみれば、 一種のダンディズム」
白鳥「じゃあ、今まで一番悪いやつ、って思ったのって誰ですか?」
喬太郎「あー、そういう転がし方もあるか。・・・ごめん、全然想定してなかった」

噛み合うようで噛み合わず、しかし辻褄は合うような掛け合いが、10分ほど続く。
客との距離を正確に測ろうとする喬太郎と、自分のペースを崩さない白鳥。
物真似が入ったり軌道修正したり、嫌味になるぎりぎりの一線で、
きびすを返す喬太郎と、 考えてるのか考えてないのか、
どうやっても嫌味になる心配のない白鳥、といったところ。
初めてらしきお客さんも多い中、二人の色の違いを浮き彫りにし、
空気をこしらえるのに、最適なウォーミングアップだった。

喬太郎「牡丹燈籠〜本郷刀屋から飯島討ち」。
初め、てっきり、何かの小噺だとばかり思い込んで聞いていた。
店先に舞台を移した「巌流島」のような風合いで、
緊張感を孕みつつも、野次馬の会話など滑稽な部分も膨らませての演出。
それが途中でタイトルを明かされ、衝撃が走る。
そもそも、牡丹燈籠なんて、名こそ知られていても
実際に高座にかけられる機会はどれほどあるだろう。
少なくとも、僕は初めてだった。
白鳥にぶつけるに、それをここに持ってくるか。
落差にニヤリ。そして趣向に気づいて、もう一度ニヤリ。
ずぶずぶの古典でありながら、往年はまさに「三遊亭の新作」。
実にピリリと洒落が利いている。
侍・飯島平左衛門が、黒川孝蔵と名乗る酔漢にからまれ、やむをえず斬り殺す、
という前半を経て、
その孝蔵の息子孝助が、武芸を習うべく飯島家に仕える後半へと。
父殺しの相手とは知らぬまま、主人に忠義を尽くす孝助に、
すべてを知りつつ目をかける飯島。
後妻が間男を引き入れて飯島殺害を企んでいるのを知って、
忠義を尽くすのは今と、二階へ向かう人影に、槍を突き刺したところが、
なんと飯島本人。悔悟の念に苛まれる孝助に対し、飯島はすべてを明かし、
仇討ちを遂げたことを祝福する・・・。
筋だけ取れば暗い、なんともやりきれない噺だが、
役柄は、二律背反な葛藤があるほど、陰影濃く、つややかになる。
だから人間を見せる上で、これほど快楽原則に奉仕しているストーリーもない。
(この辺のノウハウを、円朝は歌舞伎から十二分に盗んでいると思う。)
したがって、この噺は、演じることにすべての力点があると思うのだが、
喬太郎は、その点では群を抜いている。
人物のなりきり方が、落語だと思って眺めていると、怪我をするほどだ。
おそらく、本職の俳優よりも表現力は上を行くのではないか・・・とも考えたが、
座布団一枚を支えるのと舞台を支えるのとでは求められる所作が違うので、
それはやはり別のものだろう。
としても、喬太郎には、落語のリアリティの中で、落語のリアリティを超えていく実在感がある。
噺の組み立てへの深い洞察に加え、相当量の稽古。
稽古をするのはプロだから当たり前としても、その一回一回の稽古の質が、極めて高いのではないか。
そのようなことまで考えさせられた。

中入はさんで、ナギプロ・パーティー。
1本目。定年退職日の祝福→徐々にクイズに。
2本目。若手芸人に融資は出来ない→のわりには至れり尽くせり。
3本目。銀行襲撃計画→アダチさん。
幅の広い舞台や、観客のとまどいもあって、自分たちの間合いで出来にくい、
というのは十分推察できるのだけれども、
<絹>や<当時はポピュラーMIX>の時に見たスリリングなざわざわ感を知っているだけに、今回の彼らは、惜しいと思っている。
それでも、コント1本目より2本目、 3本目と着実に笑いが増えていったのは流石だ。
場違いを逆手にとれるようになれれば逞しくなるのに、と思いつつ、期待を次につなげる。

白鳥「死神〜新ダヴィンチコード版」
喬太郎に言わせれば、何か企んでいても丸見えなのが白鳥という人らしい。
僕も同感で、人柄がそのまま芸に直結している、小細工なしというか、
これ全篇小細工すぎて無邪気というか、そういう世界だ。
川柳川柳師匠がいかに悪いやつであるか、というマクラの後、いきなり
「サチコ・・・」
きょとんとする客席を見て、
「まさか、普通の『死神』やると思ってたんですか!?」
白鳥の場合、これで攫っていけるからズルい。
とことんアレンジが利かせてあるのだが、
一番可笑しかったのが、死神撃退の呪文。
「ミーちゃんケイちゃん叶姉妹、おっぱいムチムチ見ちゃいやーん」
と、唱えるたびに身もだえしなければならない。
(本当はポーズをとっているのだが、身もだえする白鳥にしか見えない。)
さて、医者の妻・サチコが重要な役として出てくるのだが、実は昔、佐渡でタコ採りをしていたという経歴の持ち主。
貧乏暮らしからのし上がったので、金儲けして何が悪い、この世は金よ、というスタンス。
そしてタコ採りのワザを生かして、死神の手から病人を抜き取ってしまう凄い女。
ところが、寿命のロウソクが消えかかってると知るからさあ激怒。
洞窟の奥の大岩を、その怪力で動かすと、運命の風がびゅーっと吹き込んで、
ロウソクは一斉に消え・・・。
パッと照明も消え。
ここから先が凄いのだが・・・緘口令を敷かれてますので、すでに高座で体験された方のみ以下、11行をお読みください。
いいですね、絶対に、初めての人は読んじゃダメですよ。

<−−ここから−−>
再び明るくなると、なぜか二人は裸。股間には葉っぱ。そこはエデンの園。
人類絶滅の責任を取って、夫婦に歴史をやり直してもらうという壮大な展開に。
しかも、死神は罰として人間に生まれ変わって、人類のために役立つことをしなければならない。
どうせ生まれ変わるならささやかな、三遊亭白鳥程度の人生がいい、と願う死神だったが・・・
気がついたそこは、馬小屋だった。祝福する三賢人。母の名はマリア。
これはまさか、僕が生まれ変わったのは、ひょっとして、キリスト?
空から神が答えた。「イエース」。
実はキリストは、死神だった、という新・ダヴィンチコードが明かされる。
<−−ここまで−−>

いやー、ロマンですね。さすが白鳥落語ですね、想像の斜め上を行ってますね。
おっと、聴いてないのに結末知っちゃったなんていう人、まさかいませんよね?
結末はぜひ、高座に足をお運びになってですね、あなたの目と耳で、お確かめください。
ね。白鳥落語の性質上、知ってる噺を聴くのは非常に疲れるんですから。

「牡丹燈籠」は、飯島平左衛門のダンディズムに、
「死神」は妻サチコのバイタリティに、
ワルを盛り込んでいたのだと思うが、
どちらも「過失」をめぐっての噺だったところが面白い。
意志で巨悪は支えられない?それとも、被害者こそ最大の悪?
悪気がないのが一番始末に負えない、
ということは、ワルとは、あなたと世間とのズレだ、
と指摘されていたに等しい。
ズレは困る。ズレに気づいてもらわないと困る。しかしズレほど魅力的なものはない。

挑発と「いなし」の腐れ縁。ワルの魅力、てのは、いろいろと面倒くさいね。
もう少し、ズレていてもいいのかな、なんて思ったりもして。

たとえれば、ご飯と味噌汁。御馳走が出ると期待して行ったら、
魚菜は何も出ず、意表をつかれる。
が、一口味わえばその理由がたちどころに腑に落ちるほど、
米も味噌も厳選されていて、 死ぬほど美味い、喬太郎。
たとえれば、スナック菓子。コンソメ、のり塩、バーベキュー、サワーオニオン・・と
手を代え味を代え、バリエーションは豊富だけれど、飽きが来るのも早い。
しかしまたしばらくたてば、体に悪いと知りつつも、無性に飢渇感に襲われる、白鳥。

思えばひどい取り合わせだ。どういう食卓で育ったのか、
塾通いで両親共働きでまともな食事をとれなかったのか、と、不安になってくる。
そんな偏食感をもたらした企画者こそ、一番のワルだったに違いない。
(独演会だったら決して気づけない奇妙な感情であることは確かだから、その点では大成功だ。)
普段インパクトの薄いサラダのような噺家さんの大切さ、
それを逆に、認識させられた会だったように僕には思えた。

 

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