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時事通信ホール 
大銀座落語祭「春風亭昇太の牡丹燈籠」
銀座ヤマハホール 「昔昔亭桃太郎 柳家喜多八
 三遊亭白鳥 三人会・ おす。ひく。ぬく。」
銀座ヤマハホール 「昔昔亭桃太郎 柳家喜多八
 三遊亭白鳥 三人会・ おす。ひく。ぬく。」
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円盤「円盤巌流島」
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「白鳥&喬太郎 二人会 
デンジャラス&ミステリアス<ワルの法則>」
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国立劇場小劇場 特別企画公演「念仏と題目」より
 『題目 −南無妙法蓮華経−』
相鉄本多劇場
「桜散る、散るもつもるも三春乃一座」
東京建物八重洲ホール
[立川志の吉東京駅前独演会!其の(1)]
静岡市駿河区・妙音寺客殿
「第1回 かなやま寄席」 
下北沢ラ・カーニャ  佐藤良成ソロライブ
『Thursday Solo Live at La Cana』
「林家たい平独演会」
札幌市教育文化会館小ホール
銀座みゆき館劇場「丸山おさむ芸能生活30周年記念リサイタルの、ようなものパート1」
文鳥舎「柳家紫文 みたかdeきいたか vol.10」
馬車道大津ギャラリー
「楠美津香のひとりシェイクスピア Lonely Shakespeare Drama超訳 夏の夜の夢」(マチネ)
南大塚ホール「東京パラダイス」
南大塚ホール「南大塚ホール落語会」
シアター・トップス明日図鑑「岸辺の亀とクラゲ」
なかの芸能小劇場 ヨージ単独ライブ
東京芸術劇場 小ホール「平成噺し座 其の参」
 

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06/05/05 なかの芸能小劇場 ヨージ単独ライブ
shou_chong

注:非常に長文ですので、時間と気持ちのゆとりがある時にお読みください。

■ライブその前に
幕が上がり舞台下手から登場したヨージさん、チップスターの空箱を両腕にはめ、左右色の違うティッシュボックスを履いている。
すり足でギクシャクと舞台中央まで進み、マイクの前に立つと「僕、アシモ」と名乗る。
そして、(この日の会は、6:40PM開場、7:00PM開演であったが)
「(ヨージさんも)6:00PMからしか会場に入れてもらえなかったので、準備が十分にできなかった」
「実はネタもまだ未完成」
と告げる。(無論これもネタの一つ。)
あれこれ不安要因ははらんでいるけれど、とりあえず「ヨージ単独ライブ始まります」ということで、ライブ開始。

■ライブその最中

●妹の話

つい最近結婚が決まった26歳(25歳だったかも)になる妹セツコさん。
風呂に入る順番で、妹に先をこされると無性に悔しいヨージさん。
長風呂だから腹が立つらしい。
妹は妹で、入っている時間は短いくせに、お湯をいっぱい使うからお兄ちゃんの後はイヤ、と思っている。
ヨージさんは悔し紛れに家の外に回り、風呂場の外側の壁のある部分をたたく。
すると振動が風呂場の天井に伝わり、たまりきった水滴が一気に落ちる。
なんとも子供じみた仕返し。
セツコさんは風呂場の窓を開け、母親に向かって叫ぶ。
「お母さん、お兄ちゃんがばかー!」(ばかなことしてる、というニュアンス)
*なんでもない兄妹の風景だが、そこはかとなくおかしく、ちょっとせつない。
妹が家を出てしまえば、こんな「ばかー!」なこともできなくなるのだから。

●昔のアルバム

ネタ作りのため、昔のことを思い出そうとするヨージさん。結果、ネタはできずじまいで、トラウマの蓋があき、気分が落ち込んだだけ。(しつこいようだが、ネタができないというネタである。)
作業の一環で卒業アルバムを眺めているうちに、目に付いたことを紹介。
目立たなかったクラスメートのコメント。
「僕のサングラスが人気に」
「それがよほど嬉しかったんだろうね」と今のヨージさんがコメント。
クラス担任を持たなかった先生たちのコメント。
英語の先生は、高校にいったら読めるようになる程度の簡単な英語でメッセージを寄せていた。
体育のイノマタ先生も英語でメッセージ。それもたった一言「Enjoy!」。
*何を楽しめばいいのかよくわからないが、体育の先生らしいお言葉である。

●小学校時代の遊びの思い出

(1)
公園で、だるまさんがころんだ、をした時のこと。
鬼になると、決まって仲間に置き去りにされる男子がいた。
その男子が数を数えている間に、みんなで一目散に逃げて、別の公園に行って遊ぶ。
すると、二時間くらいしたら、その男子がやってきて、また仲間に混ざって遊んでいる。
*おそらく、この件に関し、抗議もなければ、謝罪もなく、遊びの継続についても、依頼もなければ、承諾もなく、双方何事もなかったかのように遊んでいたのだろう。
抗議をすれば、自分が仲間はずれにされるような情けない存在だと認めることになる。
だから、それについては触れたくない。
改めて一緒に遊んでくれと頼むのも同様に自尊心が傷つくので、なんとなく仲間に加われたらそれでいい。
それが置き去りにされた側の気持ち。
もともとうざったい相手なので、さほどの罪悪感は感じていない。
抗議されないのなら、敢えて謝罪することもあるまい。
でも、さらに仲間はずれにするほどいじめたいわけでもないので、歓迎はしていないが、とりあえず一緒にいる。
それが置き去りにした側の気持ち。
道徳の教書的に見れば最善の策ではないのだろうが、双方の気分からすれば、これが最も問題の起きないやり方なのだろう。
子供なりの微妙な感情が垣間見える、複雑におかしい話だ。

(2)
水風船(風船の中に水を詰めたもの)を投げ合う遊び。
ジャングルジムに登っていると無防備だから、集中的に攻撃の対象にされる。
最初はそれをいやがっているが、次第に当てられるほうが楽しくなり、立場逆転。
服もどんどんぬぎ、「もう、ほとんどはだかだよー」とおおはしゃぎする男子。
*こういう(アホな)遊びを楽しめるのは小学生男子ならではだと、かつての小学生女子は思う。

●人キング

虫キングhttp://www.mushiking.com/index_j.html
ならぬ人キングというゲーム。(もちろんヨージさんが考えた架空のゲームである。)
虫キング同様、さまざまなキャラクターのカードがある。
女子なのに少年ジャンプを毎週買うタイプのカシワギさん。
わざカードでパワーアップした田舎の高校の野球部員(野球より、ボーリング、ビリヤードが得意)に恋してパワーダウン。
「いけない! カシワギさんのアラレちゃんメガネが、カラーメガネに変わっている!」
*おしゃれに目覚めた乙女心を、短い台詞でギャグに仕立てられるヨージさんのセンスに感動。

●女子と口きかない同盟

小学生時代、女子にモテないヨージさんとシバタ君は、女子と口きかない同盟を結ぶ。
なのに今は彼女がいるらしいシバタ君。裏切られたようで面白くないヨージさん。
女子にモテない男子の歌を歌うヨージさん。
鉄道オタクで、「ヌード写真集より、鉄道の専門誌(←記憶曖昧)に興奮」
「クラスに二人はいる(タイプ)」
現世ではモテないので、「あの世ではモテたい」といった歌詞。
*クラスに二人はいる、という歌詞がリアルである。
(この話は二つのシーンに分かれていたと思うのだが、便宜上一つにした。)

●尾崎豊ライブ&小学生版麻雀放浪記

これは絹12でなさったものとほぼ同じ。
http://marishiro.cool.ne.jp/kaguyahime/ground/476-500/ground-488.html
ただし、うずらの卵の個数は6個が正解。(さすがに8個隠すのは無理か。)
また、無の境地に導く要因が、今回は、雨の日のワイパーの動き、になっていた。

●おかしなCM

(1)尾崎その後に

(これは3月の単独ライブでもなさったネタ)
http://marishiro.cool.ne.jp/kaguyahime/ground/476-500/ground-478.html
尾崎にかぶれた十代にスプレーすると、盗んだバイクをもとあった場所に返しに行く。

(2)ゴーマニズム宣言熱さまシート

(3月の単独ライブのネタよりパワーアップしていた。)
ゴーマニズム宣言にかぶれ、受け売りの自衛隊派遣論を語るようになった高校生に貼り、熱をさますシート。

(3)教頭の意外な行動

夜の校舎 窓ガラス壊してまわった 反抗的学生。壊した枚数は5枚ほどだ。
が、教頭はジャンボ尾崎と化し(その教頭の苗字は尾崎なのだ)、ゴルフボールで学校中の窓ガラスを割っていた。
その秘密を知って以来ひきこもりとなった学生。
*体制側に尾崎より尾崎的な人物がいたら、学生も己の青臭さ、愚かしさにいやでも気づき、反抗する意欲も萎えることだろう。

●女子歴史部

●硬式女子歴史部

この二つは最高におもしろいネタだが、文字におこしてもおもしろさは伝わらないので説明は省略。
あのおもしろさが味わえるのは、ライブに足を運んだ人だけの特権だと思う。
他のネタもそうだが、特にこの二つは説明不能なので強くそう感じる。

  1. カシワギさんとイノマタ先生

硬式女子歴史部のキャプテンカシワギさんと、部の顧問イノマタ先生はお互いに好意を持っていた。
3年生のカシワギさんの進路についてたずねるイノマタ先生。
「やはり、女子プロ歴に進むのか?」(女子プロレスに関するネタがその前にあった。)
カシワギさんは教師になりたいと答える。
「私は、女子でも発売日一日前に少年ジャンプを手に入れるタイプで、保健室登校をしていた経験もあるので、生徒の気持ちがわかる教師になれると思う」
イノマタ先生の気持ちが手に取るようにわかるカシワギさん。
自分の心の声にまで返事をされ、戸惑うイノマタ先生。
「どうして自分の考えがわかるんだ? やはり、一人芝居の限界か?」
やがて、お互いの思いを確認しあった二人は、固く抱擁する。
そしてイノマタ先生一言。
「Enjoy!」
*一人芝居や落語では、多くの場合、登場人物は心の声も口に出さないことには話は成立しない。
そして、その心の声は、ほかの登場人物には聞こえていないという大前提がある。
その大前提を覆す一連の二人の会話、そして「一人芝居の限界か?」という台詞は無性におかしい。

●ヨージさんとお母さん

ライブ前のヨージさん、部屋にこもりネタ作りの真っ最中。
一応ノックはするが、ヨージさんの返事は待たずに部屋に入り込むお母さん。
おしゃべり好き、人がよさそう、台詞の一言一言がおかしい。
(小学生時代、クラスメートに「いいなあ、ヨージのお母さん、おもしろくて」とうらやましがられ、密かに傷ついた過去を持つヨージさんである。)
(たぶん、お友達の話では、というニュアンスを含みつつ)
「ヨージは、三谷幸喜みたいにおもしろいんだよねえ」と言われ、大いに傷つくヨージさん。

*上のお母さんの台詞に観客は大うけだった。

三谷幸喜の作品のおもしろさは広く世間に認められている。
だが、ヨージさんの個性、魅力は三谷幸喜のそれとは全く別物なのだ。
おもしろい作品、ということでひとくくりにされて、そのトップに位置しているもの、あるいはそう評価されているものに、比較されたり、例えらえたりしても、表現者は少しも嬉しくないだろう。
まったく的外れな評価なのだから。
お母さんは、ヨージさんを誉めているつもりなのだが、実は誉めていることになっていないのだ。
しかし、悲しいことに、人はえてしてこういう過ちを犯しがちだ。
本当は表現者の数だけ、個性、魅力、おもしろさがあるはずなのに。
だから、一人一人白紙の状態で見るべきなのに。
自分が既に身につけてしまったものさしで、初めて見る表現者も判断してしまう。
それは、おもしろいと思われようが、つまらないと思われようが、誤解に基づく評価であるから、表現者にとってはありがたくないことなのだが。
私も、表現者のみなさんが、誤解に基づく評価をされている場面に遭遇して、悲しくなることがある。
たとえそれが好意的な評価であったとしても、本質を見誤ったものであれば、表現者は傷つくのだ。
それほど、みなさん繊細な神経をお持ちなのだ。
といったことを、たったひとつの台詞にこめられる、しかもそれを笑いに変えられる、ヨージさんは偉大であると思う。

●お楽しみ会のプレゼント

ヨージさんの小学生時代の苦い思い出。
お楽しみ会のプレゼント交換、予算は300円。
親からもらった300円を使い込んでしまったヨージさんは、自分が持っていた青い粘土の上に「粘土で遊べ」というメッセージをつけ、紙に包んで持って行った。
自分が手にしたのは、上履き袋に入った(だったと思う)バネやミニカー(タイヤはとれているが)など、「宝物だ!」と嬉しくなるような品々。
プレゼントした本人が側にやってきて、
「ああ、それ俺が出したものだよ。でも上履き袋は返せよな」などと、ひとしきり盛り上がる。
ふと前方を見ると、自分が出した粘土を前に、しくしく泣いている女子(ヨージさんの初恋の相手)が目に入る。
仲良しの女子二人が、隣で憤慨。
「ひどい、粘土で遊べ、って、命令形!」
ヨージさん、あわてて自分が受け取ったプレゼントを抱え、泣いている女子の前に行き、
「これ、あげます」と置いてきてしまう。
「しかし、女の子が、バネ、もらっても嬉しいのだろうか?」
と大人になったヨージさんは振り返る。
*小学生女子には、いずれにしろ嬉しくないプレゼントだっただろう。
おかしいけれど、でも、いとおしい気持ちにもなる、私は好きな話だ。
事実かどうかはともかく、ヨージさんが語る子供時代の話には、子供が感じる気持ちがまるごと詰まっていると思う。

●日食の日の思い出

小学生時代、日食の日に観察会が開かれた。
観察用具は、したじき、写真のフィルムなど、各自で用意。
普段は目立たない男子がサングラスを持ってきたため、その日は大人気となる。
(なお、ご参考までに、日食の関連サイトには、
「太陽を直接見ない、もっとも危険! 
下敷き、サングラスなど色素で減光するものは、ほんの数秒程度見るなら良いが、長い時間は危険!(赤外線を通す)
真っ黒な白黒フィルム、すすを付けたガラス板ならよい」
とある。)
その男子からサングラスを借りたイノマタ君、調子に乗ってサングラスをしたまま走り回っているうちに校舎に激突。
指を怪我して病院に直行。
サングラスでふざけていたと見なされた、ヨージさん以下3人の男子(なんの罪もないサングラスを持ってきた目立たない男子と、イノマタ君含む)は、反省を申し渡される。
4人そろって反省するという条件だったようで、3人の男子は教室に正座させられたまま、イノマタ君が病院から帰るのをひたすら待ち続ける。
3人を長時間待たせた挙句現れたイノマタ君。
怪我した指に包帯を巻き、利き腕が自由に使えなかったため、本人にしてみれば何気なくなのだろうが、Tシャツの真ん中(首の下の一番くびれた部分)に、サングラスをひっかけていた。(サングラスをケースにしまうように、つるを折りたたんだ状態で、片方のつるだけTシャツにかけていた。)
その姿が気取って見え、文字通りしびれをきらした3人は、大いに怒る。
3人の怒りに驚いたイノマタ君は、あわててサングラスを片手でかける。
ますます気取って見え、3人の怒りはヒートアップ。
すると、サングラスの本当の持ち主、ふだんは目立たない男子が一言。
「舘ひろしみたいだ」
以下2名も同意、「舘ひろしみたいだ」の大合唱。
イノマタ君、「舘ひろしじゃねえよ」と繰り返し否定。
で、ついたあだ名が、シバタ。
シバタ君=イノマタ君=イノマタ先生=カシワギさんのお相手
カシワギさん=カシワギセツコさん=ヨージさんの妹
であることが、ライブのほぼお終いにわかる仕組み。
*年齢的なことを考えると、つじつまが合わないのだろうが、時空を自在に行き来するのがヨージさん作品の特徴であるから、瑣末なことにとらわれていてはいけない。
ここは素直に驚いて、大いに笑うべし。

■ライブその後に
ヨージさんのソロライブは非常におもしろい。
ほかのだれとも似ていない、ヨージさん独自の世界がある。
それを人に伝えたいと思うけれど、あまりに複雑な構成で、レポートにはいつも苦労する。
「一つ一つの話は独立しているのだが、どこかでつながってもいる」と書いたところで、未体験の人には、どういうことなのか具体的には想像できないだろう。
しかし、ライブで見たことをそのまま時系列にレポートしても意味がない。
どの話のどの部分が、ほかの話のどの部分と、どうつながっているのか、読んだだけでは理解不能だろうから。
また、理解可能なら、ライブをする意味もないのだ。
しかし、一度くらいはそのライブの百分の一か千分の一くらいの気分が味わえるレポートを書いても良いのではないか、と思い、つながりが想像できそうな話を中心に選んで、概要を記してみた。(本当はほかにも、いろんなおもしろい話があったのだ。)
などともっともらしいことを言っているが、実は、書いていたらこんな形のレポートになってしまっただけなのだ。
このスタイルはエネルギーを非常に消耗するので、今回限りにしたい。
しかし、文字に起こすだけでもこれだけ疲れるのだ。
作品を作り上げ、舞台にかけ、演じるヨージさんが費やすエネルギーは想像を絶するものがある。
(もっとも、私は凡人で、ヨージさんは才人ですから、比較の対象にはなりませんけどね。)

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