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06/05/13 馬車道大津ギャラリー
「楠美津香のひとりシェイクスピア Lonely Shakespeare Drama超訳 夏の夜の夢」(マチネ)
shou_chong
今更ではあるけれど、Lonely Shakespeare Drama、略してLSDである。
一度見れば病みつき、強力な中毒性がある舞台、という意味がこめられているのだろう。
(いわずもがなの解説で我ながら野暮。)
美津香さんの舞台にぴったりのネーミングだ。
さて、このLSDでは、登場人物が原作のまま演じられることはまずない。
(美津香さんが手がけた作品をすべて拝見しているわけではないので、きっぱり「ない」とは断定できない。)
ほとんどの場合、観客がイメージしやすい人物に置き換えられている。
(原作のストーリーなどについてのおさらいはWikipedia他、参考資料を各自あたってください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%A4%8F%E3%81%AE%E5%A4%9C%E3%81%AE%E5%A4%A2)
今回の登場人物は下記のとおり。
ハーミア=唇半開きの松田聖子
ライサンダー=NHKにアナウンサーとして就職が決まった若者
ヘレナ=中島みゆき
ディミートリアス=フジテレビの社員(かなりの遊び人)
ボトム=「明日のジョー」の矢吹丈
クインス=「明日のジョー」の丹下段平
パック=「うる星やつら」のテンちゃん(いんちき大阪弁を話す)
オーベロン=モロ師岡さん(話し方、仕草がそっくりで笑える)
タイターニア=美津香さん自身
その他の登場人物も、話し方や仕草に特徴があるので、他の登場人物と混同する心配はない。
落語的要素、講談的要素が取り入れられているのは毎度のこと。
さらにこの作品では美津香さんの歌声もたっぷり堪能できる。
なにしろ、登場人物に中島みゆきがいるのだから。
「わかれうた」の替え歌はもちろん、美津香さんのオリジナル作品らしき歌から、「お座敷小唄」の替え歌まで聴ける。
もともと喜劇であるから、そのまま上演しても十分おもしろくできている。
その上に美津香さんオリジナルのギャグも加わるのだから、つまらないはずはない。
未見の方はぜひ足をお運びいただきたい。
LSDの特徴については、「お気に召すまま」を拝見した時にほぼ書きつくしてしまった感があるのだが、
http://marishiro.cool.ne.jp/kaguyahime/ground/380-400/ground-383.html
美津香さんの魅力については、その後、新たに感じたこともあるので、これまでに拝見した作品に関する感想も含め、以下に述べさせていただく。
美津香さんは両性具有の人だ。
登場人物全員の、男っぷり、女っぷりが実にいい!
男性は男性として、女性は女性として非常に魅力的、セクシーなのである。
「リチャードV世」のリチャードV世は、確か暴走族のヘッドという設定だった。
バイクにまたがり、長いはちまきを風になびかせ(と、ここは想像の翼をひろげる)街を暴走する姿が実にさまになっていた。
種類で言えば、ロックシンガーのようなかっこよさ。
しかも、日本の男性ロックシンガーの誰と比べても、断然、何十倍もかっこいい(と私は思う)。
その姿をただ見つめているだけで、自然に胸がときめいてしまう。
バイクにまたがるシーンでは、私の鼓動は確実に速まっていたのではないかと思う。
逆に美津香さんから、というより、リチャードV世からじっと見つめられたら、全身火傷してしまいそうだ。
それくらい、美津香さん演じるリチャードV世はセクシーだった。
「アントニーとクレオパトラ」では、終演後、一緒に見た友人Mさんは、
「変な表現だけれど、頭の中をF***されたみたいな気分」
と感想を語ってくれた。
(みなさん、大人なのですから伏字の部分は察してくださいよ。)
観客の頭を揺さぶり、ひっくり返し、脳みそのありとあらゆる場所を刺激する、という意味において、この作品は非常に官能的なのである。
クレオパトラは歌舞伎町の女王という設定だった。
日本語、英語を問わず、いわゆる四文字言葉を躊躇なく口にする女王である。
実際にはそうではないのだろうが、台詞の5割はその種の言葉で占められていたような印象だ。
そして、台詞だけでなく、その存在自体が限りなく刺激的なのだ。
芝居全体に与える影響力絶大なキャラクターである。
まさに女王の名にふさわしい。
作品の象徴のようなこの女王は、アントニーに限らず、世の全ての男性の心を虜にするのではなかろうか、というほどの強力な色気を放っていた。
花に例えるなら、大輪の薔薇かカトレアといったところか。
その色香は、異性のみならず、同性の心をも迷わしかねないほど濃厚だ。
「夏の夜の夢」では、職人衆が素人芝居を披露する場面がある。
うら若き乙女の役も無骨な男性が演じる、その様子がおかしい場面でもある。
ということは、この役を女性が演じるならば、そのおかしさは消えてしまうはずなのである、本来は。
が、美津香さんが演じると、髭の剃り跡も青々した、体毛も濃い、むくつけき男(おのこ)が乙女に扮しているように見えるのである。
それでいて、豆の花、蜘蛛の巣、蛾の羽、芥子の種、といった妖精を演じている時は、バニーガールかバドガールのように見えるのだ。
とにかく、美津香さんは、男女どちらの役も、きっちりその性になりきって演じられるのである。
そこがすごいと思う。
それは、歌舞伎の女形や宝塚の男役のように、それぞれの性を強調、あるいは理想化した形で見せる、いわば人工美の演技とは全く違う、もっと生々しい魅力に溢れた演技なのだ。
これは美津香さんだからこそできることなのだと思う。
LSDの公演で配られる美津香通信なる不定期刊行物には、興味深いエピソードが書かれていた。
大阪梅田の歓楽街で、ポン引きのお兄さんに声をかけられた話。
上野の歓楽街で、ラテン系の国出身の玄人女性たちの横を通り過ぎたら、客になる勇気のない男性と思われ、笑われた話。
北千住の路上で、警官から職務質問を受け、お終いに「アンタ女の人?」と確認された話。
美津香さんは万人が認める美人だと思う。
だが、同時に様子のいい青年にも見えるので、上記のようなことが起こるのだろう。
だからこそ、男女どちらを演じても違和感がない、どころか両方の性を等しくセクシーに見せることができるとも言えるのだが。
観客は、両性の境目を自在に飛び越える、そんな美津香さんを前にして、自分は今、女性の心でその姿に痺れているのか、男性の心でその色気に悩殺されているのか、不明になってくる。
だが、そのことが決して不快ではなく、むしろ楽しく感じられるのである。
幻惑される快感。
美津香さんの舞台にはそれがある。
その意味においても、ひとりシェイクスピアはLSDなのだろう。
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