春風亭昇太真打ち昇進記念パンフ
一人の噺=落語ファンになるために
第十一回東西落語研鑽会当日パンフ
第14回読売GINZA落語会当日パンフ
談春の高座は、いわば賭場だ。
旬を読む。「楽語・すばる寄席」
かってに志の輔コレクション
カジノ・フォーリー創刊2号
カジノ・フォーリー珍奇4号
復活2号「カジノ●フォーリー」
立川談志インタビュー
追悼立川談志という表現


2008/3/17~23.「松元ヒロSOLO LIVEin R’s ART COURT vol.15」
新大久保アールズアートコート

2009/9/24〜27.「松元ヒロひとり立ち」
チラシ裏 東京芸術劇場小ホール2

2010/3/25~28.「松元ヒロひとり立ち」
チラシ裏 東京芸術劇場小ホール2

2010/9/23~26.「松元ヒロひとり立ち」
チラシ裏 紀伊国屋ホール

2011/9/9〜11「松元ヒロひとり立ち」
チラシ裏 新宿明治安田生命ホール

2011/9/9〜11「松元ヒロひとり立ち」
チラシ裏 新宿明治安田生命ホール

2012/3/29-4/1
「松元ヒロひとり立ち」紀伊國屋ホール

2012/9/15~18
「松元ヒロひとり立ち」新宿明治安田生命ホール


お笑い漂流記2004へ 

 


LB 中洲通信97年5月掲載



 実際の話、大人はよく「子供の頃は幸せだった」と懐かしむように言うけれども」ほんとかよ、と思う。赤ん坊の頃はおなかがすいても泣くしか方法がないし、目の前でへんなものをガラガラ振りつづけられてびつくりしてみつめていると「笑った笑った」なんて誤解されて、」もうやめてくれよ、と伝えるためにはやはり泣くしかないし、四つん這いになって進もうとすると手足それぞれがなかなかうまく連繋しないもんだから右へよろけたり左へよろけたりしてあげくのはては頭をぶつけるし、うまそうなものを口へ入れようとすると「ダメ」と有無を言わせずとりあげられてしまうし、抗議するにはやはり泣くしか能がないしで、ほんとに情けなかった。
 やっと幼児期になっても、何かにつけて行動を制限されるし、その制限内でも失敗が多くて「それ見たことか」と言われるし、だけど失敗しないことにはなんだってわかるわけないじゃないかと反論したいのだけれど通じる言語をまだ習得してないもんだから、やっぱり泣くしかない。「あらあらまた泣いちゃって」なんて言われて。失敗に泣いているんじゃないんだ、あんたがた大人の勝手に太刀打ちできない自分の非力が悔しくて泣いているんだ、と言いたいんだけど、やはり泣くしかないんだ、これが。
「あんたらだって、同じ時期を通過したわけだから、この悲しさを少しはわかってくれたっていいんじゃないか。私は大人になったら絶対に、過去の自分を思い出せないようなこんな想像力のない大人にはならないぞ」と赤ん坊の時に固く誓ったのでした。 
 子供の孤独感といったら大人の比じやない。もう少し年をとったにしても、わけのわからない社会や世間がえばってるし、ほとんどの物事は自分の思いどおりにならなくて腹の立つこと夥しい。そして、小学生時分のある時、はたと気付いたのです。「あっ、私って、この日にここに生まれようと自分で決めて生まれてきたんじゃなかったんだっけ……ということは最初から思いどおりになるはずという大前提のたて方が間違ってたんだ」と。 
この時、私はユーモアを手に入れたんだと思います。それから楽になりました。しかも、人間を形作ってる細胞は生まれた瞬間からひたすら死に向かっているというではありませんか。おいおい。田舎の実家の洋品店のガラスケースの隅にたまって群れ飛んでいたクサカゲロウに「こいつらも死ぬんだ」と一瞬、あたりがシンとしたのは、かくれんぼの最中のことでした。 
究極のユーモアは「人生に対する真剣な焦燥と、それが結局帰するところは最終的には無であるというズレを感じること」だとか。わはははは。してみると平家物語も源氏物語も忠臣蔵もシェイクスピアも宮沢賢治もみんなユーモア小説なんですね。
「笑っていーもんかどーか」という月刊のフリーペーパーを主宰していて、それは主にいろんな観客による今の東京のお笑いライブの現象からの報告で構成されています。なにゆえにそんなことを始めたかというと、お笑い産業のためでは決してなく、笑う習慣の必要性を感じるからなのです。特にこの時代に、東京で。ですから、その必要性を感じない人に無理強いして読者を増やそうという意思は全然なくて、ひたすら、必要とする人達の胸に届け!と思って作りつづけています。そして、必要とする人達は、ライブに足繁く通ってくる観客に確率高くいるかとも思い、現場ライブでタダで配付しています。 今の東京で特に笑いが必要と感じるそのわけは、都市では、人と人の距離が近すぎて情報が多すぎるその結果、多くの選択肢の中から正しい判断を瞬時に選びとらなくてはいけないプレッシャーにストレスを感じてる人が多いように見受けられるから。去年の暮れにNHKテレビ番組「緊急指令室ER」をCMタイムなし十時間ほどぶっつづけで見ていたら、医者・患者・看護婦が絶え間なしに冗談を言う。的確な判断が一秒ごとに要求される世界はジョークなしにはやってられないのでしょう。テレビやラジオの裏方もこれに近い。
 そして、21世紀に向けてこの方向はますます強化されるに違いない。そこで必要になるのが「笑い」。「笑い」は脳自身が脳を救うために編み出した知恵なんじゃないか。不気味な暗闇でただ怖がっているだけじゃなく、口笛を吹いて自分に自信をつける行動を思いつけるのが大人の脳。笑いもそれに似てる。どんなタイプの人にどんな笑いのニーズがあるか、12段活用のはじまりはじまり。

 
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