「一人の噺=落語ファンになるために」
初出2001年夏パルコ公演「二人の噺」
(中井貴一、段田安則出演)パンフレットに寄稿
2003年10月大阪ほかで再演にあたり、少し加筆修正
■落語と仏教
Itユs a form of Japanese traditional stand-up comedy. But instead of standing
up, the comedians sit on a zabuton cushion on stage, telling humorous stories
about city dwellers in the 18th or 19th centuries.
と、まあ、落語を知らない英語圏の人に落語を説明するとなるとこうなります。
要するに、座布団の上に一人で座って、面白い物語をしゃべるスタイルの芸能です。もともとは、お坊さんが説教をよりわかりやすく聞かせるために、滑稽味を込めたのが最初と言われています。そんな由来がある証拠に、落語家があがる舞台のことを「高座(こうざ)」、落語家が手に持つ小道具である手拭のことを「まんだら(曼荼羅)」と呼びます。
説教と言うと、今の私たちには抹香臭い、教訓話めいた感じに聞こえますが、当時の人たちにとっては、お寺へ出かけ、お参りをするのは一つの娯楽の形態だったのでしょう。坊主が腕に(口に?)よりをかけて滑稽話を作り話芸を練磨しフアンを増やす、それは、自分たちの檀家を増やす生活の手段でもありました。
■オトシバナシから落語へ
「オチ」「サゲ」(= punch line)が必ずあるので「オトシバナシ」と呼んでいたのが、「落語」になったのが明治期だといいますから、「噺家」が「落語家」と呼ばれるようになったのもこの時期でしょうか。
たいがいの落語作品には作者が存在せず、言わば落語は、詠み人知らずの短歌のようなもの。だれかの小噺(こばなし)にだれかが尾ひれをつけたり余計なものを削ぎ落としたりして、お客さんが聞きやすいように何世代もの人たちの手で仕上げられていったのが落語です。ゆえに、耳に心地いいセリフが登場します。作品を演ずるごとにお客さんの反応を見ながら、日々作り直されていったはなし言葉の集大成。演者と客との共同作業で作られたのが落語だと言っても過言ではありません。ゆえに、落語には普遍的で大衆的なテーマがあり、それが三、四百年も続いてきた理由でしょう。
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林家たい平手書きイラスト「寄席は楽しいんだぞ」も2Pにわたって
掲載されています。 |
■笑いの漢方薬、新作の流れ
落語の笑いの種類を薬になぞらえるなら、徐々に免疫力をアップさせる漢方薬。小ライブで一部の熱狂的なフアンを集める治験薬や劇薬と違って、大勢の各層の人たちを納得させうるのが落語。そんな詠み人知らずの落語の世界にも、従来の落語に飽き足りず、個人で新作落語を作る人たちも現われました。どこの世界も温故知新、古きをたずねて新しきを知るの例えどおり、まさに今、現代にあった落語を作る勇ましい落語家の潮流が関西・関東を問わず渦巻いています。たとえば、関西の新作の重鎮・桂三枝、最近CD「ヨーデル食べ放題」が大ヒット、歌の方で先にブレイクした桂雀三郎、古典の要素をきっちり抑えて知的なエッセンスを荒ぶる芸風で包んだ笑福亭福笑、関西女のパワーを炸裂させる桂あやめ、らが続々新作を作り続けています。日本で唯一の落語作家小佐田定雄が関西にいることも新作熱に拍車をかけています。関東では、突拍子もない発想で登場人物を躍動させ臨場感いっぱいに落語を演じる春風亭昇太、現代的なテーマをきっちり盛り込んだ骨太な構成の物語世界に、お客をブルドーザーのようにぐいぐい引き込む“ガッテン”おじさん立川志の輔、異常な世界を日常に引きずりおろし難なく物語として成立させてしまう柳家喬太郎、奇妙奇天烈、破天荒な宇宙落語とでも呼びたいような話をときとして作る三遊亭白鳥、その師匠新作落語の旗手円丈、ドキュメントを素材にパワーで押し切るアウトドア派林家彦いち、そして講談界からは詩情あふるる物語をなんと啖呵で聞かせる神田北陽、らを初めとして新作派がぞろぞろ。
■落語界東西トーザイ
関東には、落語家が所属する団体・グループとしては、落語協会・落語芸術協会・円楽一門・立川流が存在し、それぞれ違う落語に対する主義主張、システムを持っていて活況を呈しています。上野・鈴本演芸場、新宿・末広亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場、永田町・国立演芸場、お江戸日本橋亭、お江戸上野広小路亭、新宿永谷ホール、お江戸両国亭、その他のホール、飲食店、ライブハウス、ギャラリー、ホテル広間、などなどを会場として驚くべき数の落語会が催されています。全国で唯一の、関東地区演芸情報誌『東京かわら版』を見るとひと月の400本のライブが存在し、その大半が落語会情報です。
また、東京の演芸場では落語の合間に漫才や曲芸がはさまるという印象ですが、関西では逆に漫才やいろものが主体なので落語の方が合間にはさまっているという感じです。巷の落語ライブの数も東京に比べて極端に少ないのが現状です。全国展開をもくろんで、マスコミが集まる東京へ本拠地を移し、東京の団体に所属する落語家も数は少ないがいます。関西の落語家所属団体と言えば上方落語協会ですが、親睦団体としての色彩が色濃く、仕事となるとやはり商業の都市大阪を反映して、興業主である吉本、松竹、米朝事務所あたりが仕切っているという感じです。
そもそも、振り返ってみれば、もともとは大阪の落語であったのを東京風にアレンジして演じられている落語作品も数多く、日本の二大都市である東京・大阪(江戸・上方)の交流は昔からあったようで、芸の発展にとってはとても望ましい現象。交通費がもっと安くなればいいのに、と、これは個人的な意見です。
■昇進・襲名のプレッシャー
自然発生的に生まれた落語も、歴史を重ねるとシステムができあがります。歌舞伎ほどではなくとも、固有の芸を伝承すべく偉大な名前が襲名されていきます。中でも落語界のシェイクスピアとも言われる大名人、新作落語の創作に秀でた才能を発揮した三遊亭円朝の名はだれが継ぐか、業界にあっては長らく大問題でしたが、その名跡を持っている方が、だれにも渡さずに墓まで持っていかれました。あまり大きな名前は継ぐ方にも、継がせる方にも大変なプレッシャーを与え、金銭問題もプラスされ、だれが継ぐかによって業界内の勢力地図も変わり、言わば落語界の構造改革にもなりかねないので、当人も回りも神経ピリピリ。
このピリピリは、落語家に入門し、見習い、前座(ぜんざ)、二つ目、真打ち、と位が上がるたびにも繰り返されます。師匠の門を叩き、と言ってももちろんほんとに門を叩くわけではなく、いきなり楽屋を尋ねたり、履歴書を持参したり、家を訪問したり、師匠が出かける頃に近くの電信柱の陰で待ち伏せしたり、とあらゆる方法の結果、入門を許され、名前をもらうと前座、羽織が着られるのが二つ目、寄席で最後に高座に上がれるようになり弟子を取ってもいいのが真打(東京の場合)。しかし、この制度の基準も団体によってまちまちなので入門したい人はよくリサーチしてからにしましょう。
■落語は娯楽
さて最後に落語を聞く心構えとしては、素直に、が一番。笑えるときには笑い、泣きたいときには泣く。たった一人であなたの頭の中のキャンバスに絵を描くきっかけを与えてくれるのが落語。カルチャーでもなく、民俗芸能でもなく、娯楽の一つとして、楽しむのが落語フアンのあるべき姿、王道です。
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