春風亭昇太真打ち昇進記念パンフ 一人の噺=落語ファンになるために 第十一回東西落語研鑽会当日パンフ 第14回読売GINZA落語会当日パンフ 談春の高座は、いわば賭場だ。 旬を読む。「楽語・すばる寄席」 かってに志の輔コレクション カジノ・フォーリー創刊2号 カジノ・フォーリー珍奇4号 復活2号「カジノ●フォーリー」 立川談志インタビュー 追悼立川談志という表現
談春の高座は、いわば賭場だ。 【談春CD「20年目の収穫祭」発売お知らせチラシに掲載 05/06/11】 すでに20年以上前になってしまったが、師匠談志が、その師匠小さんが会長を務める落語協会と袂を分かち、寄席に出ない立川流を創設、寄席体験なしの落語家第1号が、ガッテンの師匠こと立川志の輔。その後に大阪弁の文都、そして談春、志らくと続いて入門。 入門時期や年齢が近いこともあり、談春・志らくはなにかにつけ比べられて育つ。いっとき、立川ボーイズと呼ばれコントもする若手落語家として騒がれたこともある。童顔志らくはシネマ落語をなし、若侍顔の談春は役者として舞台にも立ち、タレント性を発揮したが、そもそも談志門下に入門しただけあって、心に期するものがあり、他の娯楽に流されるふりもできず、現在はそろそろ男盛りの40代を目前に、二人とも一気に落語道を突き進む求道者となる。 だいたいにおいて、目から鼻へ抜けるはしっこい弟子という印象が強かったが、博打打ちの例に漏れず、まず観察力と批判力が素晴らしい。 その場でどう振る舞えばだれからどう見えるかを、高速回転する脳が見定めてしまう。わからないのも悔しいものだが、わかりすぎるのも辛かろうと思う。 地道に落語会を重ねながら、ああでもないこうでもないと模索、単なる積み重ねではない会を続けてきた成果がぐんと出だした談春の春がやってきている。 今や、向かうところ敵なし、というたたずまいを見せ、落語に関してはさぞや「腕が鳴る」状態ではないでしょうか。 で、見かけより案外常識人で、バランスを重んじる。だからこそ、登場人物の心理配分を緻密に組み立てた落語ができる。で、さらに組み立てた上で「破れ」を作ろうとする。じゃないと、つまらなくていたたまれないのだろう。 博打を打つ瞬間は、多分、興奮と熱狂を制御する時間。退屈じゃない一瞬に魅せられる習慣を身につけた男が、落語をありきたりにやっていて飽きないわけがない。ときにぶっきらぼうに、ときに洗練に、ときに野暮にさえ憧れる談春自身の本音が見え隠れする舞台は落語でしかできない。 素と演技とのあわい(間)に、すさびごと(遊び事)としての楽しみをみつけられるなんて、落語でしかできないのじゃないか。 落語家になってよかった談春。 観客と自分をだましっこ、胴元になって賭場を体験するようなものだから、高座って。