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 毎月最終水曜日毎日新聞夕刊掲載

刊笑いに生アクセス NO.88 2011/11/30  
毎日新聞夕刊掲載 ネット版

写真:橘蓮二

立川談志というジャンル

 大阪の梅田花月で立川談志の「芝浜」を聴かなければ、いまここにこうして文章を書いてはいなかった。
40年以上前の独演会。盆地のような客席、その底、前から二列目の席。初めて見る落語家がすぐ前に居た。
「夢になるといけねえ」。サゲの後も椅子から動けず、ようよう立ってなだらかな坂を駆け足で上の出口に向かう。
門限を気にしながら、このまま帰るにはあまりに惜しくて振り返った。足が止まった。お客と話し込む高座の談志に、知らないうちに拍手をしていた。やはり立ち去りがたく残っていた数十人のお客がつられて二度目の拍手を一斉に。
 生きる意味にくそ真面目に悩む多感な十代、噺と同じ飲んだくれの父親がいたおかげで、「芝浜」のようになればどんなにいいだろうと涙し、その後、談志のずばり本音をさらす大人の姿に、文学書や哲学書からは得られなかった生活の知恵的ななにか、おおげさに言えば、ちょっとは楽に生きていける魔法の術を入手したような気がした。
 談志落語は、それぞれ一人々の人生に決定的瞬間を与えた量が半端じゃない。強烈なパンチを食らわされた談志ファンは千差万別だが、しぶとく頑固だ。
 好きも嫌いも、このパンチをどう受けたかで決まる。
 パンチ後、談志の求めに応じて育ちすぎた感のあるファンを相手に、格闘するかに見えた時期もあった。が、ミューズが降りたとされる2007年「芝浜」は、普通に、人が愛しくなる。
際立ったキャラ立てはなく、普通の夫婦がそこにいて、私たちは二人と一緒に呼吸し、たまたまそうなってしまう物語に同行する、というふうだ。
談志ファンの色川武大さんは生前「60歳の談志を見られる君たちはいいなあ」とおっしゃいました。
先生、その後、70代の談志はもっとすごいことになりました。
落語というジャンルの中に談志がいるのではなく、立川談志の中に落語というジャンルもあったのだと思います。
当コラムで2004年「談志の風に吹かれたくて」と書きましたが、これからは心の中で吹かせます。
「これが俺かあ……」と言わしめた橘蓮二さんの写真を添えて。

 
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