木村万里 Wrote



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【夢の中で段取ってると疲れるね】
毎日一人合宿。
仕事の80%は段取りだと、私は思っています。
よほどの創造する仕事でないかぎり。
小さい段取りを組む時間を組むのは大きい段取りです。
「段取り」の必要性を体で覚えたのは
20歳のときの大阪は天王寺「似和貴壮」(和を以って貴し、の意)での住み込み体験でした。
そこでは、宿泊、宴会、会議、結婚式が行われ、
一つの部屋が、
昼はあるときは会議の場所として、
あるときは新婦の控え室として、
夜は宴会場、
さらにそのあと宿泊という具合に機能します。
一つのスペースがいろんな役割を担います。
一人で3〜4部屋を受け持ちます。
刻々と変わる時間帯によって、
布団上げ、掃除、会議のお茶出し、机のセッテイング、親族の出迎え、花嫁の誘導、着物を直して写真撮影のためにみんなを並ばせ、手にナイフを持たせてウエデインングケーキを切らせ、それを下げてお客の人数分に切り分けお土産に持たせ、タクシーにうまく配分して乗せ、宴会が始まった大部屋では乾杯のビールの栓を抜き、煮物を運び、茶碗蒸しを運び、最後の赤だしとご飯をよそい、酔っ払ったお客を帰し、そこを掃除して宿泊客を泊め、風呂においやり、その隙に布団を敷き、マージャンを終えない部屋へはみんなで連れ立って出かけて玄関に座りプレッシャーをかけ(だってマージャン台を返してもらわないと、私ら寮へ帰れないし眠れない)、次の日の会議部屋の机のセッテイングをし、最後は次の日のおしぼりたたみで一日が終わるのが常だった。
遅番が寮に疲れて帰ると、早番が夜食の用意をして待っている、という
暗黙のルールが私たち四人部屋ではできあがっていた。
トーストと野菜。
それだけだったけど、次の日の伝達事項もその夜食の場で行われ、最後は化粧を落としてぐっすり眠るという健康的な生活。
毎日毎日目のまわる忙しさ。
段取りが一つ狂うと自分が辛くなり、まわりにも余波が。
一秒ごとに段取りを考えていた。
人の動きと、部屋の動きと、厨房から上がってくる料理の数、出す順序を寸分たがわず進行しなければならない。
みんなが有機的に動かないと無駄が出る。
間違うと、厨房から怒られる。
「赤だしが冷めるやろが」
箸置きと箸とコップをセットしたお膳を最高13段もって階段を上り降りできた。
ビールも一度に13本運びました。
正方形の金属の大きいお盆を腹で支えて運びます。
宿泊客と宴会客の食事が重なる夕方など、戦争でした。
先輩が、どこかに落ち度がないか、全体を見回しています。
滞りがちな部署があると助っ人に入ります。
泣いてる暇なんてないのに泣いてる子もいた。
私は面白くてしょうがなかったから、泣かなかったけど。
体動かしてよく食べるから、受験勉強のときよりはるかに健康的で太ったりして。
女ばかりですから、当然、いろいろ諍いがあったみたい、他の部屋では。
みな、うちの部屋に来たがりました。
一番人数の多い4人部屋なのに、それはそれは仲がよかった。
一人が結婚してやめ、他のどうにもいさかいが絶えない部屋から一人引っ越して来たけど
うちの部屋へ来たらまた仲良くなった。
あの他の部屋の争いごとはなんだったのだろう。
今もってわからない。
両方で文句言ってる。
両方が時間をずらして愚痴を言いに来る。
へええ、大変みたいよ、他の部屋・・・。
イジメってなんだ。
イジメたら気分悪いでしょうに、イジメル方だって気持ちがすさむだろうに。
だから戦争やめろ!
幼稚園児のようですが、そうとしか言えない。
人をさらうな。
殺すな。
人のもの取るな。
なんとかうまくいかないもんかねえ。




【笑いのビデオ製作のかたわら考えたこと
・・・・・・テレビが大人の見本だった頃】

終わってみて、初めて気づく「縛り感」というのがある。
縛られているときはそんなものだと、苦しいなりに諦めている。
観念している。
それが、一段落して、ほおっとしたときに、いかに今までそれに縛られていたかを実感する。
こんなに楽になるということは、相当辛かったらしい、私、なんて。
長い夏でした。お笑いビデオを見続けた夏でした。
これがお客で見るのならどんなに楽しかったろうに。
光明がさした会議を終えて、ひとり、いきつけの渋谷の店で、
ジャズを聴きながら、ロールキャベツ定食を食べました。
じんわり、
しみじみ、と、
開放感が押し寄せて来た。
なにをしようにも、その前にやらなきゃいけないことがある、
それをやる時間があるなら、あれをやらなきゃ、
と頭から消えない時間が続き、とにかく昭和・平成のビデオを見まくっていたのです。
脅迫観念に縛られていた。
でも、拉致された娘や息子の親に比べれば、
屁でもない。
部屋の片隅にうず高く積み上げられた
ビデオの山がプレッシャーでした。
見たいけど、見られない、でも見なくては、と時間との戦い。
発売が決定したら、お知らせします。
苦しかったけど、実に楽しかったのも事実だから。
いわゆる昔の漫才もありますが、今のオンエアバトル世代のお兄さんお姉さんがやってきたこと、
もしくはおじさんおばさんがやってきたことがビデオもしくはDVDで見られるよ。
ネタがちゃんとしていたら、繰り返しに堪えうる。
久本雅美フキコシの二人羽織
シテイボーイズの馬鹿でかい机での会議
朝が来るまで
大討論会
ARARAのエレベーター
蛍雪次朗一座の乗車券拝見
チャーリーカンパニーの東京さ行ぐだ
山口君と竹田君の汗だく演技
ツービートの漫才でのきよしさんの受けのうまさ
たけしさんのかわいさ
てんやわんやの「なんで行ったの?」
 ぴよこちゃんはないのね・・・
4人の玉川カルテットのノリにのった最高舞台
ピンクの電話のパリ旅行
王様とロバの耳の偏食
大川興業
板橋ヘルスセンターの行列
モロさんのサラリーマン
B21スペシャルヒロミの突っ込みの素晴らしさ
ジョークアベニューの面接、両生類の合意!
中村ゆうじヘルシー松田のギャグマンス
ダイマルラケット
フラミンゴのお葬式
あきれたぼういず
Z−BEAM

うわあ、これからどうなるか。
あれもこれも見たい見せたい。
あと、個々の事務所との関係とか
版権問題とか
商品にするにはいろいろ大変な作業がいるのね。
ただ懐かしの対象としてではなく
面白いから見るという具合になればいいな。
少しカルチャー。
で、発売ビデオには直接には関係ないのだけど、
つながりで見た昔の浪曲・講談でうなるのがいっぱいあった。
二代目神田山陽京山幸枝若広沢瓢右衛門・・・・・・
NHK番組「夢であいましょう」の
レベルの高さに驚きました。
1966年でおしまいになった番組。
ギャグの入れ方、音楽の扱い方、ダンス、オリジナルの歌。
出演者のうまいことと言ったら。
黒柳徹子さんのかわいいこと
渥美清のちょっととんがってるとこ
最終回の三木のり平さんなんて、その出方出し方
おしゃれな演出。
構成、永六輔さん
私ら、これで育ちました。
いいもの見て育ちました。
子供のときにこんなレベルの高いものをテレビで見て育ったのです。
「ジェスチャー」のフランキー堺のかっこいいーこと。
画面が美しい。
白黒だからか。
出演者がみなジエントルマンでレデイーで
いい男、いい女がずらり。
う〜ん。
大人の見本がテレビにありました。
あんなのを作っていたら、今のバラエテイを見るのが嫌になるだろうな、と。
50代と幼稚園というくらいの差を感じる。
今の方がハードもソフトもあるはずなのに。
なぜ?なぜ?
今、ピラミッドが建てられないのと同じかな。
テレビ初期、才能がテレビに集約されていた時代。
今は、才能があちこちに散乱してる。
もったいないことだ。



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