木村万里 Wrote



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ペンンギンオブジェ写真家および東京駅で演奏するウクレレブラ
ザーズ
の一員でもあり、毎日新聞水曜日朝刊東京版掲載
『お笑い漂流記』コラムに写真をのっけてる高野ひろしさんからこんな↓報告が届きました。
一人で知っておくのはもったいないからご紹介しておきます。
あ、こういうスタイルをとれば、昔やってた「ワラモン」ネット版が可能ってこと?
高野さんは、小さん師匠が長年通っていた散髪屋で丸坊主に髪を
刈ってもらっちゃったそうです。いいなあ、丸坊主。
私もやってみたい。頭が絶壁だから駄目だな・・・。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
右朝さんの追善落語会に行って来ました。
パイプオルガンのあるホントの教会が会場でした。
教会に入ったのは大学以来のことです。
出てくる人が皆、右朝さんの酒癖話を嬉しそうに話し、
「だから私は友達なんだもん」て自慢している。
それが微笑ましく羨ましく、後味の良い会になりましたよ。
急遽プリントした銀の輔とのツーショット写真を、
みなさんにばらまいてきました。
その会でも白眉だったのは、
高さ1メートル程の即席高座から、
真っ逆様に落ちた川柳師匠です。
「俺の葬儀委員長をやるっていったくせに!」と怒っている姿も、背景に立てかけた高座写真に向かって投げきキスする仕草も、なかなかに感動的なシーンでした。
追伸:僕の坊主頭は、やっぱインパクトが強すぎるみたい!



【28日、昼間北陽パーテイー、夕暮れイエス玉川の会】
神田山陽襲名披露の宴。
なんたって帝国ホテルである。
案内をいただいた時点で頭を悩ますのは祝儀の額です。
着席形式とあれば、料理にそれ相当の金額がかかっているのは目に見えている。
お金というものはほんとむつかしい。
左談次師匠が昔しゃべってた言葉を思い出して、その基準でぎりぎりの額を持参。
その立川左談次師匠。
(左談次の小部屋 ↓  
http://www2.odn.ne.jp/~cap59560/s-top.htm )
ほんと、働かないことがキャラになっている師匠をなんとか働かせようと、駄句駄句会が主催で「はたらく左談次の会」を銀座ガスホールで年に数回行っている。いえ、行うはずだった。春夏秋冬、季節ごとにサダやんの落語とおかしみを堪能しようという会。
季節ごとという夢はすぐに破れ、ずるずると、年に2回、1回?てな現状になっている。
みんなでよってたかって、「で、今年はどうなの?」とつついてはみるものの、「あたたかかくなったら」「涼しくなったら」など、働かないほうへ働かないほうへもっていくサダヤンは筋金入りだ。ちょっとやそっとで性格は変わらない。
「変わらないから『性格』って言うんだ」とあまりにも正しいことをおっしゃったのは、さらなる師匠立川談志。
ちがいない。
さらっとした江戸前の芸風は、句会全員が大いなるファン。
弁護士さんを会長とする左談次後援会(?)も師匠とは付き合いが長い。
いつも2席をさらりとこなし、打ち上げは近くのライオンビアホール。
かつてTBSラジオが落語会収録会場として使用していた場所でもある。
この打ち上げが凄い。
着席テーブルがいくつもあり、真中にはバイキング形式のお料理。
司会進行役は立川左談次。
1日、出ずっぱり。
おお働き。
知らないどうしが卓を囲んでいるテーブルだってある。
乾杯がすんで、料理を取りに立つタイミングはなかなかむつかしいものだ。
すかさず司会が言う。
「テーブルで、一番身分が低い者が取りにいくように」
ワッときて、場がほぐれる。
ビアホールの舞台では、あるときは丸山おさむが物真似をやり、まけじと白山雅一先生が丁寧な芸を披露する。立川流前座クラスが場をシラケさせたときなど、必ずフオローの言葉を入れて場をなごませる司会者。
この場でかつて大爆笑をとったのはキウイが読み上げる談志師匠との日々をつづった作文だったのだが、あのときの栄光は何処へ?
頃合を見計らって、各テーブルをまわり、お客の気持ちをひきつけ、
お客様が、お腹もいっぱい、飛び入り参加の芸で気持ちもいっぱい、
そんな状態の中、すかさず、司会者は参加費を徴収するべくマイクを握る。
これだけ見せてもらって食べさせてもらって、お金払わなくちゃ悪いよ、いくらなんでも、という気分にさせておいて、
「ささ、それでは」
と、無頓着に無責任に始まる言葉は名人芸。
「みなさん、自分の懐がちょっと痛むていどに出してください」
もう、私、この言葉にしびれました。
そう、無理はいけない、あとが続かなくなる。
二度と来るかという気持ちにさせてはいけない。
ちょっと払いすぎかな?と思うけど、でもこれくらいは払わないと悪いでしょう、と思わせる金額。それはその人のそのときの暮らしぶりによって千差万別。
で、前座が帽子や紙袋を持って回る中、人々は会費というより、お布施のように思い思いにお金を入れるのでした。
芸人の鏡です、左談次師匠。
酔ってからまなけりゃ、最高なんだけど。
そういうわけで、私は、ちょっと懐が痛むていどの祝儀をもってパーティーに。
昼から飲むと、あとに控えるイエスの会にさしさわると、日本酒とワインに口をつけた以外は、お水をいっぱい。
帝国ホテルのお水はほんとにおいしくって、もらって帰りたかった。
芸術協会所属の山陽パーティー。
文治師匠米丸師匠神田松鯉先生永六輔さんのやんごとなき方を髣髴とさせるおめでとうの挨拶、PAいらずのトライトーンによる歌。トライトーンの声の楽器伴奏にあわせて歌う山陽は井上陽水「少年時代」、小遊三師匠はツイスト踊りながら「ダイアナ」を気持ちよさそうに。司会昇太がトロンボーン、山陽ドラム、のデキシーバンド「にゅうおいらんず」に、落語界最長老春風亭柳昇師匠のトロンボーンが加わって、まあ楽しい音楽演奏。
前日、最後の北陽深夜寄席が満杯だったと報告する新宿末広席亭。
「でも、うちの席じゃないので、実入りがなくてそんなに嬉しくなかったけど」と場内をワッとわかせる。乾杯の音頭をとった浅草演芸ホールの若き席亭といい、やはり話芸を身近に見て聞いて育っている人達は声が丈夫。よく通る。
ほんと、羨ましい。
回転寿司でも便利だろうなあ。
昨晩一緒だったMXテレビデイレクター桜林さんは、お着物姿。
「こんな暑い日、着物で来たら一発で駄目になっちゃうから」と、やはり昨晩一緒だった浜さんはお洋服。
大有企画真野嫁はお着物でばっちり。
そうねえ、いつか私もお着物で。
おじいちゃんは呉服屋に勤めてたんだものねえ。
でも、着慣れてないとぐずぐずか、きっちりすぎになってしまって、
恥ずかしい状態になるのは目に見えている。ハタチの娘でもあるまいし。
幸田文さんの『きもの』なんて読むと、とても怖くて着られません。
あそこまでのめり込めると着物もさぞや、怖くてしかも楽しかろ。
後ろから、妙に特徴ある聞きなれた声と口調。
おお、懐かしや、馬冶さん、おっと今は馬生師匠。
「やあ、昔の抱きごこちを」
など体を寄せさせ、写真を撮らせるなんざあ、またまた芸人のやわらかさ。
寒空はだかがモーニング似合いすぎ。
「衣装ですから」
ちがいない。
急いで地下鉄乗ったら、次は「新お茶の水」って、それ、違う。
方向を間違えて乗り変える。
と、日比谷で「にゅうおいらんず」のギターの人が乗って来た。
面識ないからあいさつするのも変だし、でも帝国ホテルのお土産袋持ってるし、私。
袋隠して座っているのもどういうもんだろう、と思ってるうち、
「表参道」で降りて行かれました。
下北リバテイにちょっと寄ってみると、頼もしや、田口事務方お姉さん小池あい子さん一行、用意万端整えて、アイスクリームなど食べていた。日大芸術学部、たのもし。
安心して、自転車で家に買って一シャワーあびて休憩して再びリバテイへ。
小屋つき矢野さんがずいぶんいろいろ手伝ってくれたらしい。若いスタッフがどんどん現場で育つのはいいことだ。
GAO!のミウラさんが、小池嬢に開場してもいいいかと指示待ち。
「あけていいですか?」
すると、小池嬢、逆質問
「いいとは、どういう状態をさすんですかあ?」
ちがいない。
お客さんを入れていい状態とは、客席もととのい、舞台もととのい、音響・照明、チケットもぎり、パンフ渡し準備OK、ということなのだけど。
わからなかったら聞く、という素直な姿勢が面白い。
悪びれないところがなんとも新鮮。
ミウラさん
「俺に聞かれてもお…・」
と絶句、苦笑い。
『笑芸人』ピン芸特集にイエス玉川掲載とのことで田村取材カメラマンが入る。
やはりパーテイーからかけつけた放送作家兼最近ではすっかりプロデューサー松田さん
客席を見渡して
「若〜い。下北らしい客層ですねえ」
と感激。いつものイエス玉川客席だったら、おじさん多数。
茶と紺と黒と灰色とモノトーンよりの色彩に終始する。
この客席おさえておきましょう、と田村カメラマンを促し前からパチリ。
「ほんと、前から見たら、いつもと全然違ってました」と田村さん。
受け付けからして、やっと20台に突入したという世代が動いているのだから。
イエスさま、漫談で自由自在に話しかけるが勝手が違うようす。
祝儀をはずむ建設会社や運輸会社の年配の男性相手とはちと違う。
浪曲初めて、イエスはじめて、この人ってどんな人?と興味津々な目と耳が注がれる。
「なんか、オーデイション受けてるみたい…・」
本音でした。
2部。
幕があくと、いっせいに力のこもった拍手。
「なんだ!浪曲が聞きたかったの?」
目にもあざやかな黄緑の布がかかったテーブルと
脇と後ろの台のしつらえは、やはり浪曲にとっては欠かせない。
これを最初にやったのは、浪曲界の革命児、桃中軒雲右衛門だというイエスさまの説明をきいてなるほどガッテン。
不思議な声が空間を支配する。
沢村豊子お師匠さんの三味とのかけあいがなんともフリージャズでかっこいい。
私はこの浪曲におけるセッションがとっても好き。
気持ちの流れを誘うように、盛り上げるように、ときにはすかして、ときには格闘するような三味。
日本人の声に合っている弦楽器。
湿度の高い日本で生まれた鳴り物。
ここで、主催「タマの会」日大学芸術学部学生小池あい子さんが全霊をかたむけて作った当日パンフレットを御紹介しておきましょう。
1枚の紙を上手に折って8面パンフのでき上がり。


◎ 表紙◎
富士山イラストを真中に、上には、Welcome toの文字。
山の稜線に沿って浮かぶは十字架と玉川紋。 
◎ ページを開くと◎
「浪曲とにおいと味」のタイトル。
「サテサテ、浪曲ってエやつはなんだかよくわからない。そんな人もいるでしょう。
かく言うわたくしめも浪曲鑑賞歴その浅いことといったら。ほとんど犬なみ。そんな私のしごく勝手な浪曲道を一挙公開。うっしっし。
鼻を効かせましょう。はにゃ?不思議なにおいがしてきおった。クンクン、そちらへふらふらと向かってゆきますと。
Step1
まず、浪曲の会場に着いたら、そこの老人の量のすさまじさに驚きましょう。線香やポマード、軽い死臭、嗅覚が大変に刺激されます。そして四季を感じさせない色。亀の腐ったような色、小豆を煮詰めすぎた色、年老いた人間の色彩感覚に日本のワビサビを見ます。そしてたまに気の狂うような派手な婦人。ハゲ率や、あのオヂサマの妾になりたいなどの不埒な妄想、そんな空間にいる自分などいろいろ考えさせられます。
Step2
演者が出て来ると「待ってました!!」「大統領!!(意味不明)」「四代目!!」などと声がかかります。筋が始まりゃ「うまい!!」「名調子!!」「色っぽい!!」とにかく自分勝手に声をかけまくります。そんなのを聞くだけでワクワクします。
Step3
天保水滸伝、慶安太平記、清水次郎長、などの古典世界に案外夢中になります。好きな話は良い節で聴きたいもの。そうしてお気に入りに出合い、浪曲と関係のない日常もなんとなくうきうきいたします。よくわからなくとも、よくわからないなりに楽しむ部分がありましょう。あらゆる事象のなかにいろんなものを発見するのもおもしろく。嗅いだことのないヘンなにおいに誘われて、食べてみれば、ヘンな味である。美味いと思えばうまい。趣深いような味である。食べることは生きることの基本だもの。ありがたく噛んでいただく。

最後のページには、日本文学選考らしく、正岡容の文章がかかげられています。
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「あはれはれ
げに関東節にふりかかる月影こそは
この人の世に情けなりけれ涙なりけれ
さればいつ迄もいつまでも関東節よ
そなた、哀しく
泣いじゃくりてあれ
       (正岡容「なにはぶし」より)
関東節よ、浪花節よ、さらば
涙ぐましくかう叫ぶ。
人さびし木馬の中でぼんやりと
浅草に毎月行く。浪曲「木馬亭」は五重塔通りにある。お参りもする。
金平糖も買う。老人と外人を観察する。鳩がこわい。豆をやる気にはならん。
乞食みたいな人について考える。
8月のイエス玉川、出演予定日は7日と8日。午後1時開演。2000円(25歳以下半額)。
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休憩時間兼冷房タイムを入れてきっかり1時間半ですっきりと終わりました。
熱心にアンケートを書く人たち。
さあ、待ちに待った打ち上げです。
お店に行くすがら、三味線の沢村さんがイエスさまに
「……のとこ、今日、いい声出てたわよ」と。
下北沢で聞く、浪曲師と三味線のおっしよさんの会話が耳にまぶしい。
リバテイと同じ経営者が経営する「どっと」へ。03−3460−0592
スタッフや出演者やお客さんらがいりまじり、おしゃべりタイム。
小池さんをフオローした古参OL事務員田口お姉さんは、イエスさまに熱く浪曲界について会話セッション。
話が「徂徠豆腐」におよぶとイエス様、「豆腐を1つ」とすかさず注文。
それにしても名古屋からかけつけたパワーが凄かった。
得三(トクゾー)という店で広まったハヤシイズミとその仲間が元気に参加。
「いつもあい子がお世話になってます」
と挨拶したのは、名古屋のあい子さんの親代わりだとか。
父親代わりの方が、なんと憂歌団の「おそうじオバチャン」の歌詞を作った人だって!!
ひえー。大好きな憂歌団…・。
故prd.の制作をこなし、ラーメンズのシアターDにおけるコントラボのコント作品も書く作家・山田祐香さんは、名古屋出身。当然、この名古屋パワーともリンクして。
同席した北野謙カメラマンは、取り溜めた日本人女性455人の顔を上からかぶせていって焼き付けて、「our face」のタイトルのもと、0歳から100歳までの日本に住む平均女性の顔を作った人。男性の方は542人の顔を重ねた。なんとも懐かしい顔が現れた。この写真記事が読売新聞に出たら、HPになんと1万件のアクセスがあり回線(?)一時パンクしたというから、インパクトのある発想には興味を示す人たちがいっぱいいる日本だということを実証。いや、ネットだから外国からのアクセスも考えられるか。
( 北野カメラマンのHP → http://www.ourface.com/
ナンシー関さんを、死亡前日にインタビュウしていて、しかも死亡を知った日が自分の誕生日だったという「LB中州通信」編集者袴田亭も静かに参加。にぎやかなようすを静かにみつめる。
(中州通信HP → http://www.two-three.com 次号は、越前屋俵太特集!)
故prd.お手伝いのカドヤサチエさんは、
「開演が4時だといいですねえ。最終電車のこと気にしなくてすむからあ」。
1枚の紙を折って、8ページにするパンフの折り方アイデアを提供した人でもある。
「どっと」、冷やしかけ汁飯がおいしかったあ。いい感じのお店。おいしいし、値段が安くって助かった。今度はここで集合ね。
03−3460−0592
一応、お客さんとは駅前で別れ、フアーストキッチンでスタッフで
収支決算と反省会。
唯一、会社員でボーナスが出た田口姉さんがみんなに
飲み物をおごってくれた。
フアーストキッチン、終電がなくなって帰れなくなるとここに集まって始発を待つんだと山田作家報告。なるほど、こりゃ便利。
元気なうちはそれができるわなあ。明るくて安全ってなわけね。
収支決算。収入から支出を引いて…
うわあ、643円あまり!
まあ、もののみごとにぴったし。
田口事務方
「じゃあ、それで、イエスさんから預かった布を宅配便で送りましょう」
若い人たちに浪曲を聞いてもらえてと喜んだイエスさん豊子さん
「チラシとチケットを手作りできただけで嬉しかったあ」と小池嬢
初めて浪曲と、摩訶不思議なイエス体験を味わったお客さん。

なんだか、万万歳で幕が引かれた「the イエス玉川」でした。
さあ、名古屋ライブが実現するのはいつの日か。
お道楽その1
日を決めて、大須演芸場に集合して、ツバナレしない(お客が10人以下)客席に慣れてる出演者をある日びっくりさせようという企画、いかがでしょう?ふふふ。
そのあと、トクゾーで飲むというのは?

親族代表・野間口徹のCM見ました!
みのもんた司会の夫婦喧嘩させるやつの合間に発見。
ボールペンのCMでした。
しゃれたCMでした。
白衣姿で、横向きに机に向かい、こちらにニヤッ。
前面には、100円赤ボールペンが2本。
右のボールペンはインクが赤く見えない。
左のボールペンはちゃんとインク残量が赤く見える。
どうだ、
たかが100円ボールペンにこんなに時間と労力を割いて
研究して、といったナレーションが流れていました。
野間口さん、まんま。役作りせずそのまんま。
いつもの本人そのままだった。
で、メーカー名は忘れた。

野間口さんよりCM裏話が届きました▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
メーカーは三菱で、商品名very楽々ボールペンでございます。
一応色々キャラクターは作ったんですけど、監督が普通にやってと。
オチは監督と二人で作ったので楽しい撮影だった事を覚えてます。
ボールペン少しくらい貰えるかと思ったらダメでした。
意外に「買う」って事をしない商品だと気付きましたよ。
タバコを吸う人のライターみたいな感じですかね?
あ、全然違いました。
ここ数年ボールペンを買った記憶が無いですから。
いや、シャープペンの芯すら買ってないです。
つまりこれは字を書いてないって事ですね。
ネタ帳も持ってないし...
DM書くくらいで。

Copyright (C) 2003 marishiro

 

 

 

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