木村万里 Wrote



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【山田雅人トークライブですう】

27日は、リバティにて「山田雅人トークライブですう」を見に。
高田事務所の松田ですう、が一人制作という形で、構成台本は書くわ、照明・音響・進行をつかさどるわ。
ワンマンバスの運転手を思い出す。
あんな帽子かぶればいいのに。
つい最近、江頭のサッカートルコ応援イベントを仕切った
松田運転手にすれば、軽うくですう、だろな。
高田文夫さん、あいかわらず軽うく現る。
洋服着てても、風情は着流し
「昨日、句会、来なかったねえ?みんな集まったんだよ。働いてんだって?老後の資金をためてるんだって?」
この導入部からして、まるっきり落語の登場人物。
山藤宗匠に、「働き詰めです。老後の資金をためないと」とフアクスしたのがそのまま情報としていきわたったのだろうか。
季題が「夏痩せ」だったと聞いて、ああ、悔しい。
いいのが詠めそうだったのに。
「鯉のぼり」が季題だった5月には、
木村寝ん猫詠める
「鯉のぼり つぶしてアロハ 5着でき」
に「天」をいっぱいもらって優勝した身なれば。

カメラマン橘蓮ニさんの助手、急遽、幕引き係となる。
なんせ人手がいないのです。
あいくるしいオカミサンがお茶ペットボトルなどくださる。
愛娘の桜子ちゃんも花束持って待機する。
テイルト山崎さん、末広亭神田北陽深夜寄席を気にしつつ受け付けに立つ。
山田さん、東京で初のワンマンライブ。
自然体で登場して軽く客席におしゃべり。
一度引っ込み、新たに登場、耳に心地よい軽い大阪弁おしゃべり。
十八番、競馬中継。
客席から好きな馬の名前をもらって中に織り込む。
紙切りがお題をもらうのに似ている。
思わず、藤娘七福神、と声をかけたくなる。
山田さんはほんとに競馬が好きで野球が好きで。
だからトークに嘘がない。
ただ早くしゃべるのだったら何人もいるだろうけれど、ほんとに好きであれだけしゃべる人はそうそうはいない。
元阪神にいた掛布がゲストで現れ、野球の話しになるとその熱情はどんどん沸騰した。
あのときのあのボールは?あのときガッツポーズをしたのは?なんでカーブだったのか?あのとき何を考えてはったんですか?
掛布のホームランの全試合を覚えていて、宝物のスクラップ帳には記事がきれいに糊付けされている。
こういう習性、やっぱり男の人ですね。
コレクターとフエチは男の特徴だと20年以上前に、独自に発見したつもりになっていたのですが、その実証例をまのあたりにした思い。
カケフと言えば、私は、円丈さんとのCM「カ、カ、カ、カ、、カケフさん」でしか知らなかったのだけれど、生き方の仁義、ルール、モラルみたいのをとっても大切にしている人。
男に惚れられるタイプ。
で、話しの流れが上手う〜。
さぞや、バットを無駄に振らなかった人だったろうなと思いました。
一球ごとに意味するものが違ってくる野球は、読解力が必要だなとも思いました。
勝つにしてもいい勝ち方をしたいと思った人。
悪い勝ち方より、いい負け方を選んだ人。
ハードボイルドだど。
対談は、
江川との因縁対決から、野村イチロー、にまで話しがおよんで私にもよくわかった。
イスにすわり、マイク1本に向かって、ピッチャー江川とバッター掛布の対決を講談調にたたみかけて語る新手の山田形式。初の試み。
伝えたいことがある人がしゃべるのを聞いているのは気持ちいいものです。
客席には、やはりドキュメントスタイルで新作落語をやる林家彦いちと講談師神田茜夫妻が。子供をおばあちゃんに預けて来たと言う。彦いちの重いカバンには瓦が入っている、と思ったら、モバイルだってさ。



【黙って、消えてはいけない】
トマス・エドワーズさん打ち上げで、またやってしまった。
突然消える癖
酔っ払いながらも、これ以上、人と一緒にいると、
吐くか倒れ込むか、なんかして迷惑かけそう、と、
酔った私は考えるらしい。
で、お仲間がいない場所へ「くノ一」のように逃げてさっと車拾って帰ってしまう。
1000羽の鳩にのって帰っていったのでは、と思われたようです。
これは、ライブを見た人にしかわからない↑ですが。
「さようなら」の御挨拶が苦手というのもありますね。
「よい一日を!」で毎回別れのあいさつを締めるのは、
「タマの会」日大芸術学部学生の分際、小池あい子さん。
とてもよい心がけです。
グッドラック!ということね。
いま、一般的に一番多いのは「じゃあね」かな。
バンツマ映画「破れ太鼓」のように「ごきげんよう」が似合いたい。
なにも言わずに消えると、どこへ行ったとこれまた御心配をおかけして、まことにすみませんでした。
こんなもんじゃない、今までの、酔っ払いしくじり編はいっぱいあるので、いつかまとめてみます。自分ながらあきれる話いっぱい。
よくもまあです。
もう時効だろうから。
最近は吐かなくなったのでえらいと思う。

でも、元の体にもどるのに、中2日かかるようになりました。
吐く気力もなくなったか。
年々、復元力がなくなっていきます。
頭から真水シャワーをかけて体を覚まします。
これがπウオーターだったらもっといいいのでしょうね。
白夜書房発行の貴重なお笑い保存版季刊雑誌「笑芸人」の中で「コメデイエンヌ」シリーズ快調連載の編集者・浜美雪さんはπウォーターで、お肌つるつる。
臨時収入が入ったら私もいつの日か、πウォーター



【7月20日、海の日。近藤志げるアコーデオン漫談報告】
近藤さんのアコーデイオン漫談の会は無事終わりました。
49名の入場者でした。静岡からやっと来れたとあべ川餅をお土産にいらした方、北海道からかけつけたという方、NHK玉谷アナウンサー、テレビ番組制作者、歯医者さん、もと海軍軍人、といろんな人生の先輩方が、アコの伴奏にあわせて気持ちよく歌い、帰りにはみな「ありがとう」と向こうからあいさつされて帰っていかれました。
2週間ほど北海道で一仕事を終えてきた近藤さんは、おいしいものを食べ過ぎて東京ではなにを食べてもまずくって、と会場入り。
で、会場を一目みるや、これはアットホームな会にしたほうがいいな、と、お客さんにビールお茶をふるまうことを決定。
もんすごく暑くなった日。
下北沢という若者の町に平均70歳代の方々が続々集まってくる様子はなんだかおかしい。
私は昔からなぜか、使い道を決められたものを、違う使い道で使うのが好き。
本来の目的以外にどう使おうかと考えるのが好き。
そこに参加精神を発揮できるからではないかと自分を分析する。
だから、若者の町とレッテルをはられている「町という器」に
異文化のシニア集団を放り込んでみたくなるのです。
触媒になるのが好きなのかな。触媒願望か。
1部は、雨情の心情を切々と語り歌う。幕を引き終わって、外へ出ると、寒過ぎるという何人か、そして、聞こえづらかったという声が出る。
設定は23度の送風弱なんだけど。
冷房計器のそばに陣取ってもらった古参OLに、会場の中に座っていてもらうことにする。
わずか、2メートルくらい離れていても温度が変わる。
25度送風弱がちょうどいいらしいという結論に達する。
音に関しては、音響を手伝ってくれている人と相談した結果、
お年寄りが多いので耳が遠くなっている方が多いのかもという原因と、もうひとつはみんなカラオケの音に慣れてしまっているのが原因ではないかということに。ライブでは、なるべく生音に近い自然音が美しいと思うのだけれど……。
2部では、特にみんなで歌う部分も増えるので一気にカラオケ仕様の音に。
割れて下品な音になるのは確実なのだけれど……。
でも、みんなで歌って満足そうだった。ビールを配付したのと、
温度がちょうどよくなったのも満足の一因だったようで。
大きい会場にはそれなりの悩みがあるし、小さい会場だとちょっとしたことで快・不快が出るのでよほど注意しなければならない。
そしていかに少ない人数でやりきれるかということ。
時間を追うごとに自分がどこに位置しているのがそのライブにとって
最適かという勉強。
22日、定年前の男性からとってもいい感想のフアクスが届き、苦労が報われたとほっと嬉しくなった。さっそく、コラムに引用させてもらう。
いい言葉をもっている人がいっぱいいる。
「興行主は大変ですね」の最後の1行に涙が出そうになる。

【7月21日新宿の日。21世紀志の輔らくごは21日・安田生命ホール〜トマスエドワーズさん・シアタートップスへ●舞台を見ながら違う舞台を勝手に作る癖】

この日の前半のことは、千両会のリンク先へどうぞ。志の輔ファンが熱く語ってくれています。
http://home.att.ne.jp/apple/senryoukai/shinosuke/photo02721.htm
http://home.att.ne.jp/apple/senryoukai/rakugokai/taidan/020722.htm
トマス江戸ワーズさん、おっとエドワーズさん。
宙に浮いてる将棋の独楽を1つずつつまんでいくあぶないシーンが興味深い。
そして、クスリを飲みすぎてソウ状態になっているあやうい人の頭の中。
これは単に私の癖なんだけれど、顔は舞台の方向に向いているのに、頭の中では、いま役者が発したセリフを素材にして自分なりのお気に入りのシーンを、
目の前で繰り広げられている舞台とは別に作ることに熱中してることがよくある。
だから舞台はあんまり覚えてなかったりして。
だってその方が楽しいんだもの。
やはり、一般的な使い道とは違う、私だけの「セリフ」の使い道を考えるのが好きなのかも。見せられる生の舞台とは違う舞台で一人遊んでいるのが好きなのかも。
落語を聞いてたからそうなるんですかね?
だから、こう感じろと強要する舞台はあまり好きじゃない。
勝手にさせてほしいと思う。そういうふうに育てられたからかな。
放任
故に、見方を強要するテレビが苦手。テレビは窮屈だ。鋳型に嵌められる。
冗談じゃない、と思う。
笑いにはやすらぎの笑いもあるけれど、インタレストの笑いもある。
やすらぎがほしいというときもありますが、インタレストがとにかくほしいと思うときもあります。退屈しちゃうのね。
意図や意味があまりにもわかると。
そもそも世界自体は、不思議に満ちているわけだから、そんな不思議世界に背を向けて、なんらかの整合性をつけてストーリーにするのが作品で、そこで安心するのだろうけれど、元気な気分のときは安心が自堕落に思えるときもあって

「ああつまんないつまんない」病が出る。
このように、一人の人間ですら、ときどきによって気分は変わるから、いろんな人に最適化された生笑い舞台を処方していくことはほんと至難のワザ。でも、だからこそ、遣り甲斐があるというもの。
言葉を肉体化していく作業はどんな感じなのかなあ、と役者を見ながらまた勝手に想像している。


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