木村万里 Wrote



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▲2003年1月上旬2の1
【佐藤健さんの葬式】


TBSラジオを終え、私は佐藤健さんのお葬式をめざす。
なにせ方向音痴なので、電車乗り換え表を穴のあくほど見つめて
あっちへ行ったりこっちへ行ったり。
どっかの駅では、上から下へ下から上へ3回ほど経巡った。
何度も同じ場所へ出るんだもの。
プラットホームの行き先表示を見るのだけれど、
自分がその駅のどっち側にいるのかがわからないし、
その駅のどっち方向へ行くのかもわからないし。
なので人に聞きようもないし。
とにかく「天王台」と繰り返す。
思い出して書いている今、なにがわからなかったのかが思い出せないのです。
思い出したくもないけれど。
未だに新宿駅で電車を待っていて、こっちから来るだろうと電車を待っていると
別方向からやってくるから、あなどれません。
だから毎回、電車に興味津々です。
今回は、どっちからやってくるんだ?と1人で賭けをしています。
新鮮です。
お金いらずの娯楽です。
でもついに、天王台に着きました。
どっちだ、お寺は?
右往左往しているうち、黒服の小柄な青年が立っています。
「佐藤家」という看板を持ってます。
あ、これは違うな、と一瞬で判断。
え?なに?佐藤家?あってるじゃん。
『宿屋の富』「子の千三百六十五番、ああ、おしいなあ、
ちょっとした違い・・・」と同じですがな、
あるんですね、こういうこと。
落語はよくできてる。
人間の心理を突いてます。
あまりにも大事にしているものをふと紛失したり、
忘れるってことよくあります。
あまりに願いすぎると、そうなったときにがっかりするってことある、人って不思議。
黒服青年に向かって右の階段を下りると向こうにまた
今度は大柄な黒服青年が。
やはり「佐藤家」の看板。
すぐにピストン輸送してるバスが来るので待っていてください、
と親切に。
タクシーで行こうとしたが、
タクシーの運転手さんもわからないこともありうる寺なのだと。
駅からどれくらい遠いのか見当もつかないし、待つことにする。
タクシーで20分というから料金もかかっちゃうしなあ・・・・。
が、待てど暮らせどバスは来ず。
私「あなたはここにいつまで立ってるの?」
青年「やあ、わからないんですよ。とにかく立ってろ、
と言われただけなので」
だいぶんたってもバスは来ず。
そろそろお葬式始まりから2時間経とうとしてるから
こりゃ終わっちゃう。
ぎりぎりで出棺に間に合う時間計算だったのだけど。
携帯で連絡をとってもらったところによると
ちょうど出棺と重なってバスは火葬場へ向かったらしい。
でも、ちょうど駅へくるハイヤーがあるというのでそれを待つ。
来た来た。
看板を引き取りに駅へやってきたハイヤーなのだった。
私が葬式最後の1人というわけだ。
さあ、どっちに行きます?
直接火葬場へ行きます?それともお寺へ行きます?
むずかしい選択です。
でも、いきなり火葬場というのも変な気がするし、
遺体のない寺へ行ってもしょうがないかという気もするし。
うう〜ん、5秒迷って一応寺へ、と。
まずは、香典を渡すとこへいかないと駄目なんじゃないか
という判断です。
車はずんずん進む。
一本道、民家から田圃の道へ。
哀しいやら、間に合わない滑稽やら、微妙な気分で
同乗する毎日新聞社社員2名にはたしてどう自己紹介すべきか
わからなくってただ無言。
「佐藤さんにお会いしたとき、初めは禁酒中だったんですよ。
でも次にあったときはもう飲んでました・・」
てな思い出話。
やっと到着。そこは、葬式終わってお片づけのまっさいちゅう。
緊張がとけ、巻きずしをほおばる黒服の人たち。
割り込んで、すでにしまい込まれた箱から探し出して
差し出されたカードに名前を書いて香典渡す。
そして四角い封筒をもらう。
そこには、葉書が1枚。
「佐藤健の葬儀に際し、会葬の御礼を申し上げます。
肝臓癌と宣告されて一年四ヶ月、平成十四年十二月二十八日、
六十歳を以て永眠いたしました。
多くの人に見守られ、安らかな笑顔でした。
思えば、昨年の夏、秋田の玉川温泉に向かうバスの中で
「犀(さい)の河原通信みたいなのが書けるといいのにね」
と言ったのがきっかけになり、いつの間にか話がふくらんで、
毎日新聞紙上で「生きる者の記録」の連載が始まりました。
この間、たくさんの励ましのお言葉をいただき、
驚きとともに感謝の気持ちでいっぱいです。
病床の佐藤健は、毎日新聞日曜版に連載した
「阿弥陀の来た道」の単行本化んお構想を練っていました。
生きているうちに手にすることのできなかった本ですが、
「生きる者の記録」も出版される予定となっておりますので、
会葬御礼に代え刊行され次第、
この二冊の本を送らせていただきたいと考えています。
永い間、佐藤健がお世話になりました。ありがとうございました。
                                   平成十五年一月   喪主・妻 佐藤道子」
そして紙切れが1枚。
「私たちは清めの塩を使いません」
葬儀、亡き人、は穢れではない。よって清める必要はないという趣旨のことが書かれていました。
仏教では決して「死」を「穢れ」と受け止めることはありません、
とも。
反対に「死もまた我等なり」とも。
なるほど、いろいろあるのね、寺によって考え方が。
そう言えば健さんのパーティーでは、
いろんな種類のお坊さんが集まって
いろんなお経をあげたんだったっけ。
「宗派の違うのが一堂に集まるんだよ、こういうことって
どこにもないんだよ」
と嬉しそうにいたずらっぽく喋ってた健さんを思い出す。
衣装もせりふも違う宗派がいちどきにお経を唱えた
パーティーを愉快がっていた健さん。
楽屋で一緒になってる僧侶さんたちを
愉快そうに眺めていた健さんでした。
「いいんだよ、どうでも、ふふふ」
と言ってるね、佐藤さん。


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