春風亭昇太真打ち昇進記念パンフ
一人の噺=落語ファンになるために
第十一回東西落語研鑽会当日パンフ
第14回読売GINZA落語会当日パンフ
談春の高座は、いわば賭場だ。
旬を読む。「楽語・すばる寄席」
かってに志の輔コレクション
カジノ・フォーリー創刊2号
カジノ・フォーリー珍奇4号
復活2号「カジノ●フォーリー」
立川談志インタビュー
追悼立川談志という表現


2008/3/17~23.「松元ヒロSOLO LIVEin R’s ART COURT vol.15」
新大久保アールズアートコート

2009/9/24〜27.「松元ヒロひとり立ち」
チラシ裏 東京芸術劇場小ホール2

2010/3/25~28.「松元ヒロひとり立ち」
チラシ裏 東京芸術劇場小ホール2

2010/9/23~26.「松元ヒロひとり立ち」
チラシ裏 紀伊国屋ホール

2011/9/9〜11「松元ヒロひとり立ち」
チラシ裏 新宿明治安田生命ホール

2011/9/9〜11「松元ヒロひとり立ち」
チラシ裏 新宿明治安田生命ホール

2012/3/29-4/1
「松元ヒロひとり立ち」紀伊國屋ホール

2012/9/15~18
「松元ヒロひとり立ち」新宿明治安田生命ホール


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LB 中洲通信99年=6月掲載



 最終回。そもそもは、「洗濯物が多すぎる」というタイトルで文章を書かせて、と編集部にお願いしたのでした。洗濯と選択をひっかけて、ね。地球の年数がたって我々に確実に言えるのは、選択ものがけたたましく多くなってきてる点です。毎日、何を選ぶか、で過ごしてるような気がします。何を着る?何を履く?何を吐く?何を食べる?何をかぶる?どんな感情を許す?泣くことにする?怒ることにする?笑うことにする?何を聞く?何を読む?何を見る?何を見ない?歩く?走る?止まる?何色で?綿?竹?ポリエステル?無添加? そんなことをしてる自分が滑稽きわまりませんでね。そうやって死んでいく自分が滑稽きわまりませんでね。でも、一応、笑いの周辺で仕事してるわけだから、失礼な話だけれど、ここを道場に書かせてもらってるうちに何か出てくるかなあ、と思ったのですが・・・。ダミダ、コリャ、ということがわかっただけでも収穫か。
 昨晩、テレビから心に滲みる音が流れてきました。ハンガリアンラプソディー(リスト)、ノクターン(ショパン)、月光(ベートーヴェン)、ため息(リスト)・・・そしてカンパネラ(リスト)。NHKアンコール放送「天才ピアニスト、フジコ・ヘミングウェイ」。日本人とスウエーデン人の間に生まれ、ゆえあって無国籍のフジコが弾くピアノの音色の美しいこと。うらやましい、と思わずつぶやいてた。何を語らなくとも、彼女のピアノが語ってるもの。ああ、いかんいかん、言葉なんぞ。「カンパネラ、他の人のより自分のカンパネラが一番好き」など言い切れるなんて、いいよなあ。ヨーロッパデビュー演奏会の直前に、風邪で2年間耳が聞こえなくなってチャンスを失うなんてそんなことありかいな。しかし、今となっては、あの音色のためにはそれもしょうがなかったのか、と思うしかないでしょう。ただの努力では、60歳だか70歳だか80歳だかのあのフジコの音は出ませんね。
 あと理屈になるけれど、ずいぶん娘に迷惑かけどおしだったうちの父も、私にネタをくれたのかと思えばそれもよしか、なんて。
 体も気持ちもボロボロで、かつての田舎のインテリは、冷たい他人の中で死にました。 私に会って安心して2日後に。最後に握った薄い手は男の手でもなく女の手でもなくおじいさんの手でもなくおばあさんの手でもなく。幼稚園児の私の手を握って散歩してた時でさえ、心配で震えて汗ばんでいた父の手が。汗などなく水っ気がなんにもなくカサカサで。あと3ケ月だって言われたからまだ大丈夫、どう死を見取ってやろうかなんて、勝手な段取りを回避して早々と。最後まで迷惑かけるのをよしとしなかった最後の子孝行。
 献体に決めて、寡黙な運転手のライトバンで一人遺体を慈恵医大へ運んだその時、車の中で私は「あ、こりゃ、落語の『黄金餅』じゃない」。途中で高速に入って。「そう言えば、麻布絶口釜無村の木蓮寺に着くまでの言い立ての途中で、『最近じゃあ、高速に入るとすぐなんだけどね』というくすぐりを入れてた落語家がいたなあ」なんて考えながら。 1年8ケ月後に骨壺をもらいに行ったその時も、いかにもそれ風な白い布がかかった箱を膝にのせ地下鉄の座席に座っている姿は、これはひょっとしてコントになるな、中身が何だったら一番笑えるかな、なんて。
 物体になった父の鼻の穴に詰められていたガーゼ。死んだら穴は広がるのか、ずいぶん大きい穴だなあ。ど
う見ても、もう物体だった。よし、私の心の中に残しといてやる。
 献体に決めた時に嬉しそうに受取り側の病院に電話連絡をとる若き医師。日頃の挨拶に始まって「実は1体・・・」。それは恩を売ってるようにも見えたわけで。
 酒に溺れず生きてたら、こんな話を喜んで聞いたのは、多分、父だったろうに。
笑いを共有できなかったことがなにより心残りでした。
大切な方と笑いが共有できるのが一番です。

 
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