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08/10/18.土 阿佐ヶ谷ロフト
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「桂小米朝改メ五代目桂米團治 襲名披露公演」 
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「スセリ☆面白半分劇場☆スセリ台本☆コント劇場」
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下北沢・楽園「オオタスセリ☆おひとりさま劇場」
下北沢・楽園「オオタスセリ☆おひとりさま劇場」
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1991/北沢タウンホールの 思い出
「高田文夫杯争奪!OWARAIお笑いゴールドラッシュ」

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1991/北沢タウンホールの 思い出
「高田文夫杯争奪!OWARAIお笑いゴールドラッシュ」
弁十郎

1991年……もうそんなに以前のことになりますか。
当時たまたま、遠くない場所に事務所があり、北沢タウンホールへよく早足で向かったものでした。

浅草キッド、松村那洋、本間しげる、相馬ひろみ……、キャイーン、海砂利水魚(当時)も。
翌日、優勝者が『ラジオビバリー昼ズ』(ニッポン放送)に出演するのが楽しみで、玉置宏さん(前の番組)からダイヤルを合わせたものです。

『お笑いゴールドラッシュ』はゲストがまたすごくて林家ペー、坂野比呂志、南州太郎、月亭可朝等々、もう見られなくなってしまった人、今も元気な師匠(?)たちが毎回登場。

さらに記憶に残るのが審査陣。
高田文夫VS高橋春男のやりとりが、まず楽しみでした。
ある時、立川ボーイズで志らくと出場していた談春が司会を担当(適確で適格、堂々としていた)、
まず山藤章二審査員長に「どのように審査を?」と舞台でたずねると「僕は“はひふへほ”で判断します」と――。
「は」は華が、「ふ」はフラ(持って生まれたおかしさ)があるかどうか……といった、さすがのコメント。
「有難うございました。次に木村万里先生……」と紹介が終るかどうかという時、返ってきたのが
「私は“ABC”で審査します」。
ムッとした(顔を作った)司会者が「ではうかがいますが、Aは?」と聞くと
「Bよりも面白い人」。
以下、「(語気を強めて)Cは!?」
「もうちょっとでBかな〜という人」
「有難うございましたっ」。

オープニングにして場内、笑いの渦。
これに吉川潮、なぎら健壱、笑いをよく知る放送関係者も加わる。

こんなライブだから、出演者が感じる重圧は想像以上だったに違いない。
でも、そうした「場」を乗りこえてきた人たちを今見ると、やはりいろいろなことが腑に落ちるのです。

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