07/4/18.国立演芸場「イエス玉川独演会」
パンジャ
開場10分前に到着。定刻通りに玉川師登場。漫談から始まる。
冒頭「天保水滸伝」のさわりをちょいと。
いい声。
すばらしい。
ずっと聴いていたいと思う声の持ち主はそういない。
芸の芸たる所以。
続いて漫談。
数年前。客の少ない寄席で漫談を聞いた客の一人が終演後楽屋をねてきた。
差し出す名刺を見ると某国立大学の国文学教授である。
その人の言うよう。
「ワタクシ、徳川夢声、牧野周一と、長いこと漫談を聞いてきたけれどもあなたの漫談はたいへんすばらしい」、と。
喜んだのもつかの間、
「……が、おしむらくは貴方の漫談はまとまりがない。いっそうの奮励努力を望みます」
と言う言葉を残して去った。
言われた当の先生、たいへん悔しくていくら酒を飲んでも飲んでも眠れない。
明け方近く、ふと思い立って辞書を見た。
「漫談:とりとめのない話」
おや。と、「とりとめのない」をひいてみる。
「とりとめがない:まとまりのないこと」
なんだ。いいんじゃないか。国文学と言ってもその程度。
狭い世界に長くいると世間の一般常識が見えなくなると言う話。
もうひとつ面白かった話。
実は草野球をやっている先生。先日のプレー中にふと気がついた。
監督・コーチが選手と同じ服装を着てる競技は野球だけなんではないか と。
それならば「シンクロナイズド・スイミング」、「フィギュア・スケート」も 監督・コーチが同じ服を着てみてはどうか。
などなど、ご贔屓筋がほとんどと見える客席を前に漫談80%、浪曲20%の楽しい高座。
できれば定席でじっくり「長ドス物」を聴いてみたいイエス玉川師であった。
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