06/7/22 座間大ホール「立川流一門会」
ライオネル貧乏
久しぶりに談志師匠の「鼠穴」」を聞きました。
以前幾度か聞かせていただいた演目でしたが、国立演芸場で聞いた「鼠穴」を思い出しました。
それは家元が喉頭癌を世間に公表した年の暮れも近い頃だったと思います。
9月に談春真打ち披露で復帰した時は全く声が出ず、私は帰りの東海道線で、「立川談志ももう終わりか。折角巡り合えたばかりなのに残念だ」という思いがこみ上げて、涙ぐんでしまいました。
その家元が突然元気になり、「鼠穴」を見事に演じきったのです。
奇跡は起きるとしみじみ感じました。
それから数回この演目と出合いましたが、今回のできは、実に肩の力が抜けた、聴衆をリラックスさせる雰囲気を醸し、それでいて家元の鋭さを失っていない、今までにあまり経験したことのない立川談志体験でした。
終演後楽屋を訪ねたのですが、ご挨拶しようとしても声が出ませんでした。
私としたことがなぜだろうと、帰途につきながら考えました。
私が出した結論は、家元は世間には「もうおれは駄目だ」とおっしゃりながら、まだ更に高い次元の落語を目指しておられる。
だから苦しいのです。
その苦しみは、例えばヒマラヤの頂上を目指す登山家に似ているかもしれないし、深い悟りを開こうとする僧侶のようでもありました。
その苦しみと闘っておられる人に不用意に声をかけてはいけないと思いました。
家元はすでにベースキャンプから遠く離れ、遭難しても救助隊が手を下せない領域に踏み込んでしまったのではないかと思います。
目指す頂上は限りなく近く、限りなく遠い。
あきらめてしまったら待っているのは「死」だけです。
そんな鬼気迫る気迫を感じました。
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