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05/06/01、02、08 しもきた空間リバティ「絹9」
shou_chong
■ジューン
「ドラえもん」の登場人物の背後霊たちが自分たちの主を見失い、途方にくれるというお話。
背後霊って、柳の下に出てくる「うらめしや〜」という幽霊とは違うと思うので、あの額につけた三角形の白い紙はなくもがなではないでしょうか。それに、芝居が始まって早々、「背後霊なのに……」という台詞もありましたから、それだけで状況は十分理解できるでしょう。シンプルな空間でする演芸、演劇だから、省けるものは省いたほうが美しい。もっとお客さんの想像力を信用していいと思います。
普段は、それぞれ別個に活動しているみなさんだったので、いつもの舞台とは勝手が違ったみたい。初日はずいぶん肩に力が入っていたようでした。でも、一日ごとに慣れてきて、台詞も少しづつ改良されていきました。最終日はさらによくなっていたことでしょう。見られなくてちょっと残念です。
■ヨージ(モテたい部)
こちらも偶然にも「ドラえもん」ネタ。
「この度、あまりの不評により、さっそくドラえもんの声がかわると聞き、いてもたってもいられず、三代目オーディション応募しました」というヨージさん。
これは話の発端で、例によって、小学生時代に教頭先生が亡くなった話、「おかあさんといっしょ」の体操のお兄さんオーディションも受けている話、小学校の卒業式の話、等等、いろいろ複雑にからみあっていきます。
そして、やはり例によって始まりと終わりがつながって一つの輪になっています。それも単なる輪ではない。ヨージさんの作品はメビウスの帯みたいにねじれているのですね。でも、特定の場所でねじれているわけではない。ネタとネタのつなぎ目で微妙に少しずつずれながら話が進んでいくのです。こんなことできる人、ほかにいませんよ。稀有な才能だと思います。業界人、プロのみなさん、ぜひ機会がありましたら、ではなく、万難を排して、ヨージさんの舞台をごらんください、と申し上げたいです。
私が今回特に好きだったシーン、卒業式のよびかけ。あれは小学生時代、私もやらされましたが、実にどうもあほらしく、まさに時間とエネルギーの無駄使いでしたね。心にもないことを言わされるので、非常に苦痛でもありました。全国の小学生がきっと同じ思いを味わっていたことでしょう。そのマイナスの記憶を、何年後かに笑いという形でプラスに転じてしまうヨージさんには心から敬服いたします。あの練習も含めた途方もない無駄時間も、ヨージさんの脳味噌というフィルターを通せば、このうえない有意義な時間となって再生されるのですね。ちゃんと元をとっているところが偉いです!(元をとらなければならないのは、お金だけとは限らないのです。)私は無駄に過ごした時間は、捨てっぱなしです。まるで元をとってません。ここが、凡人(私)と才人(ヨージさん)の違いでありましょう。こういう形でなら、過去もとりかえすことができるのですね。目からウロコでございました。
談志師匠は、時折噺の中で、過去、未来についての哲学的考察を語られて、観客を感心させていらっしゃいます。なるほどなあと思いはするのですが、ちょいと気障な気がしないでもありません。(信者の前でこんなこと言ったら殴られそう。)一方、具体的な言葉は出さずとも、過去、現在、未来、という時間の概念を明らかに観客に意識させてしまうヨージさんの舞台は、まことに洗練されていて粋だなあと感じます。(まあ、私はヨージさんファンなので、かなり贔屓目もあるかもしれませんね。)
■バカリズム
今回は同じ事務所のお仲間も加わった変則的な編成。前回は国の風俗、習慣を角度を変えて見るとこうなります、というネタでした。その発展系とでもいいましょうか。生まれ故郷に対して抱いている感情って、だれのものであっても、どんなものであっても(誇りにしろ、恥にしろ)、第三者的に眺めると結構滑稽なものだったのね、気づかせてくれるネタです。生まれ故郷のない人はいませんからね。誰にも覚えのある話だと思います。
ユニット名とは裏腹に、バカリズムのネタは知的で奥が深いです。
■THE GEESE
今回は役者さんとの共演はなし。GEESE本来の形、二人だけの出演。
お二人とも初めて拝見した頃より、ずっと堂々と演技をしていらっしゃいました。それに生き生きとして、楽しそうでもありました。経験が自信を作るのでしょうね。
話の内容は簡単に言えば、「過ぎたるは及ばざるが如し。及ばざるは過ぎたるが如し」といったところでしょうか。とことんやりすぎるのも、中途半端なままで終わるのも、どちらもよろしくない。
対照的な二人の言動がおかしいです。特に、「途中で弱まる美学」を教えるオゼキ先生の台詞が笑えます。
「お前とは、もう、金輪際、メールだけだ」
「孫子の代まで、そっとしておいてやる」
なんて言われても、相手は全然ショックを受けませんからねえ。
しかし、タカサさんが最終的に到達した、「押したり引いたり、出し入れ自由な」できる人になるのは、なかなか難しいですね。中庸の徳を身につけるのは至難の業です。人間同士のつきあいも、国同士の外交も同じことかもしれません。
■ダメじゃん小出
1日、2日は、昨今流行りの自治体合併ネタ。それも池の生物に扮して語るという趣向。そのほうが人間のままでいるより、思い切ったことが言えますものね。と、期待したのですが、(ダメじゃんさんにしては)意外とトーンはおとなしめでした。もっと過激に毒のあることを言っていただいても、ダメじゃんさんファン、及び絹のお客さん、はついてきてくれると思いますよ。
8日は(私は拝見していないけれど9日も)サッカー解説ネタ2題。
最初がチームのメンバーを電車に見立てたもの。随所にダメじゃんさんらしい毒がチラチラ。鉄道マニアらしい解説ぶりで楽しさ倍増。名鉄のパノラマカーのメロディは、個人的にはとても嬉しかったです。あれは、愛知県人だった経験がないとピンとこないと思いますけどね。
二つ目は、メンバーを千代田区の一等地(どう考えても一等地ですよね)にお住まいのさる高貴なご一家に見立てたもの。もうその設定だけで十分危ない。
ダメじゃんさんは
「どうせここ(会場)には百人くらいしかいないのですから、思いきり笑ってもかまいせんよ」
なんてことをおっしゃってました。確かにこれくらいの人数だと、罪を共有しているようなスリリングな楽しさがあります。TVのお笑い番組では決して得られない、生の舞台の醍醐味ですね。
■清水宏
最近頻繁に拝見している、映画の予告編ネタ。
「サザエさん」「一休さん」「E.T.」。
どれも傑作ですが、「E.T.」は名古屋版なので猛烈におかしいです。普段お話されるときの標準語に訛りは感じられない清水さんですが、やはり生まれ故郷の言葉で演じる強みですね。ただでさえパワフルなのに、さらに生き生きと楽しそうに演じていらっしゃいました。私は名古屋生まれではありますが、住んでいた期間は短いので名古屋弁は身についておりません。が、聞き取りは可能です。もちろん、名古屋弁というのは、意味不明なほど標準語とかけ離れた方言ではないので、日本人なら理解は可能なのですが、微妙なニュアンスは住んでいた経験がないと汲み取れないものですよね。そのへんのおかしさがストレートに伝わってきて、おなかが痛くなるほど笑いました。
やはり言葉は、長年馴染んできたもので語るときに一番力を発揮するような気がします。どんなに器用に別の土地の言葉を身につけても、所詮、現地の人にはかなわない。外国語の習得も同じことなのだなあ、なんて思ったりもしました。
■だるま食堂
富豪の未亡人に、使用人二人の息詰まる攻防。
だるま食堂のお三方は、オーソドックスなコントをきっちり演じてくださいます。さすがの貫禄です。センス先行型の若い人のコントも否定はしませんが(ただし、奇をてらっただけの、中身の薄いへなちょこコントはダメ)、しっかりとした演技力に裏打ちされた、計算しつくされたコントの良さも捨てがたいです。両方楽しめる頭を持ち続けたいと思います。
■太田スセリ
ファンの間で、じわじわと人気を獲得しつつあるらしい「ストーカーと呼ばないで」という歌。拝聴するのは二回目ですが、やっぱりおかしい。でも、ちょっと切ない。ご自身も「ま、恋なんてこんなものですからね」と言っておられましたが、片思いなんて壮大な勘違いかもしれませんね。(両思いでもそうかもしれないけれど。お互いが好意的に勘違いしている分には、問題は起きませんから平和です。)
歌の後は、(ペコちゃん曰く)「お客さんのIQを確かめる」短めのコントに次いで、大きく分けて二種類のコントをご披露。
一つが(ネタとしては二つありましたが)コギャルのコント。と書いたものの、今でもコギャルという言葉は通用するのものなのか、もはや死語なのか私にはよくわかりません。ともかく、コギャルという言葉が一般的になった頃につくられたであろうネタです。だから、ルーズソックスに、花の髪どめ(言い方が古すぎか?)というファッション。今はあまり見かけなくなったスタイルです。内容的には面白いのだけど、見かけがちょっと今とずれているので損な気がしました。いっそ思いきり遡ってしまえば、昔の話だなとすんなり納得できるのですが、少し前というのが、一番古さを感じてしまうのですね。(と半分は自分に言い聞かせている。さっさと着なくなった服を処分しよう。)
そしてもう一つが、まさに歌と同じような行動をとっている女性のコント。密かに思いを寄せる男性の部屋に忍び込み、あちこち点検する。冷蔵後の中身まで調べ、里芋の煮物を味見して、「こんなまずい煮物をつくるのは、たいした女じゃないわ」と安心するところが妙にリアルでおかしかったです。あれは、里芋の煮物でなくてもいいけれど、和食のお惣菜を作った経験がないと笑えませんね。私はペコちゃんの、こういうリアルな表現に心を鷲づかみにされます。
■明日図鑑
料理教室での一コマ。女性講師と生徒である四人の男性。生徒の不真面目な態度に腹を立て、これ以上教えられないと部屋を出て行く講師。残された生徒の会話から、それぞれが料理教室に通うにいたった事情が明らかになる。
深刻な問題を抱えているみなさん。同情すべき気の毒な状況なのに、なぜか笑ってしまいます。当人の悩みが大きければ大きいほど、第三者の目には滑稽に映ります。女性講師にしても、悩みを抱えている点では生徒と変わりがありません。
これは「プロジェクトX」をひっくりかえして見ているようなお話ですね。あの番組の「地上の星」的役割を果たしているのが、「We Are The
Champions」。ただし喚起されるのは感動ではなく、あくまでも笑いですが。
講師役は1日、2日が大久保佳代子さん、8日は長門かおりさん。年齢設定も、性格も変わっていて二種類楽しめてお得でした。演じる役者によって観客の受け止め方も変わってくる。台詞は同じ、受ける場所も同じ。でも、観客がおかしさを感じている点は、明らかに違う。そこがとても興味深かったです。
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