木村万里 Wrote
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昭和名人芸大全DVD発売に寄せて 〈極私的備忘録〉 ひょんなことから、この楽しい仕事がまわってきて、 企画協力という形で参加できて、ああ面白かった、というのが実感です。 かつて、私もスタッフとして働いていた フジ系日曜日8:00から放送された「花王名人劇場」は 会場に生のお客さんを入れて、ネタをやっていただくのを基本にしていました。 当初は、タイトルに「名人」と冠したとおり、落語の名人を意図していました。 (のちに、落語はテレビのゴールデンタイムには合わないということと、 突如やってきた漫才ブームに押し切られ、番組の主体は漫才になっていきました) テレビ録画のためにしつらえられた舞台に集まったお客さんはエキストラではなく 純然たるお客さん。その場で無料で配るパンフレットづくりに明け暮れたのもいい思い出、 と言えるのは今だからこそで。 当時は忙しさに死にそうで、いっこくも早く抜け出したかった。 このパンフレットを、プロデューサー澤田隆治さんは「紙の爆弾」と呼んでいました。 いきなり日曜日のゴールデンタイムに1スポンサーで始まった演芸番組は事件とも呼べるほどに画期的なことで、パンフレットに課せられた使命は、 マスコミ陣に演芸に親しんでいただくための広報的役割。 突如決定する番組企画変更の先読みをしながら、編集企画を立てていくのは至難の技でした。 あの頃の苦労はここではさておき、 1979年10月22日に国立演芸場で行われた「一芸名人集」(企画・構成 神津友好)が、 このビデオ・DVDの下地にあると思います。 本番出演は28組。 パンフ制作のために、出演者の写真や資料を集めていた私が、本番当日、裏で進行を仕切るような事態に。 え?!私、そんなこと生まれて一度もやったことがない。 そんなことやると思ってないからロングスカート履いてるし・・・。 ディレクターから、入り時間が遅いと怒られ、目が点に。 何がどうなったのか、パンフ編集ばかりか、この日は現場を裏で仕切ることにいつのまにかなっていた。 出演者の名前と顔を一致させられるのは私と神津先生しかいないので、必然的にそうなったらしい。 さあ、大変。80人くらいの出演者の小道具をチエックしたり、出演順を確かめたり、 カミシモどちらから出るのか、転換は、と気が気じゃない。 突然台本渡されて・・・。 舞台を客席で見ていた人から、スムースに進行していたとおほめの言葉をいただいて一安心。 放送は、1979年12月2日のことでした。 NHKソフトウエア「昭和名人芸大全」DVD6巻が発売になる 23年前のことでした。(※「そのとき歴史は動いた」ふうに読んでね) のちに、神津先生が、芸人100人のことを書いた本を NHKの人が図書館で読んで、これでビデオ企画が成り立たないかと考えた、らしい。 普通はこんな面倒くさいことは考えません。 出演者を探し当ててビデオ化の承諾を得るだけだって気の遠くなるような作業です。 出演者名、芸のタイトルなどのキーワードを放り込んで、膨大なNHK資料の中から検索、 一つ一つ鑑賞に堪えるものかどうかをチエックしていきます。 でも、これが面白い。 これらを絶対残したい、見せてあげたい、 の気持ちがまさり、会議は楽しいものでした。 故人となった人、行方不明の人、遺族・・・ さすがNHKです。丹念に探偵のように行方を追います。 この6巻は、いわば寄席芸的性格をもつ芸が多いので 巻のタイトルも「初日」「二日目」「三日目」という案配になりました。 まずは、幕開きにふさわしい芸、トリにふさわしい芸が決められます。 そして中ドリは誰?という具合に、まるで寄席の出番表を組むようで お席亭さんになった気分。 外国にはない、日本人の感性、「流れ」を作ります。 6巻すべてが楽しめるように。 分数にバラツキがないように。 そして決まったメンバーは ●初日● 東京コミックショー::蛇のおじさんことショパン猪狩と奥さんのチーちゃん。青い蛇と赤い蛇のキッスオブフアイアー。 奥さんが腰を、ショパンさんが糖尿病で目を悪くして、今は見られない芸。どこにも無駄なとこがない。お兄さんのパン猪狩さんも実にユニークな芸人さんで、私は笑いすぎて死にそうになったことがある。パーテイーでは決してはずさない爆笑芸。生のお客を前にしたときが一番いいんだけどな。 悠玄亭玉介::幇間芸。とにかく人を飽きさせない人当たり。渋谷ジァンジァンで電気を消して真っ暗な中、色っぽい声で笑わせたことがある。あれもお座敷芸の一つだったのでしょう。 玉川スミ::芸歴80周年と聞けばどんなお婆さんが出てくるかと思いきや、あでやかに着飾った気風のいいお姉さんが登場。きれのいい啖呵が三味線にのってぽんぽん飛び出します。 火の元小坊::人間ポンプなんて芸の名前をつけたのはいったい誰なんだろう。お腹に金魚を飲み込んで吐き出したり、碁石を飲み込んで「黒!」「白!」と注文通り吐き出す芸。なんなんだ。ガソリンを口に含んで火を吹いたりするので、消防署から怒られる。それで、火の用心とひっかけて、名前を火の元小坊にしたんだってさ。 ・・・・・・・とここまで書いてきて、これを6巻まで書いてたら夜が明けちゃう。 なんせ、人間国宝柳家小さんが蛸がゆであがるさまを座布団の上で見せる芸なんぞは、何に感心するって、芸と芸のつなぎめが芸になってる。間然するところがない、というのはこういうことを言う。 早野凡平さんなんか、どれも捨てられないから3本入っています。一番有名な帽子芸に、ロープ芸に、パイプオルガン芸。緻密な構成には唸ります。あれだけ新しくてばかばかしいことを考え続けていたら、酒も飲むわなあ。肝臓こわしてお亡くなりに。いかにもの死亡でした。納豆を使って、何メートルも引っ張れれば芸になるよね、と電車の中で真剣に相談された。脚立を使って「ワニ」とか動物模写を一時やっていたけれど、脚立を運ぶのが大変だとやめちゃった。脚立を振り回して家で練習していたら、蛍光灯を割って大変だったらしい。帽子芸は、パン猪狩さんから500円で譲ってもらった芸。でも大きくしたのは凡平さん。帽子も本望だろう。中でも、パイプオルガンネタは、悲壮感と虚無と滑稽が重なって、落語「がまの油」を思い出す。ゴルフバッグのふたを開いて「塩原温泉のおばあちゃんのお尻」と見立てるのは、スージー菊池の「鯵のひらき」と同じくらい好きだ。 荒川キヨシと小唄志津子は、どうあっても入れてほしいと頼んで、映像があったときの喜びったら・・。この引き気味の芸がたまりません。名古屋の大須演芸場で、噂には聞いていたけどやっと見るチャンスがあって、すぐさま楽屋に行って出演依頼。新宿107でやった「お席亭さんシリーズ」にも出てもらったし、ジァンジァンでの伊藤多喜雄ライブ゙にも出てもらった。名古屋の大きいデイスコでポクポクとあほだら経をやってもらったときの受けたことと言ったら。若者、熱狂でした。 色川武大さんが、この2人を見るためだけに、大阪まで出かけたというのがようくわかりました。 「しびれるような退屈」・・・・・これです、これが芸の幸せの極致ですね。 トニー谷は、出てきたとたん、なんせ、嬉しくなる。あの華やかさ、毒々しさ。 亡くなる最後の紀伊国屋の舞台、星空をバックに立ったトニー谷は、ダンディなおじいさんでした。 まわりからは疎まれてる感じがあって、 この人はいつが一番幸せだったんだろう?と思いました。 うっとうしさより孤高を選んだんだろうな。 和妻浪曲芸の布目貫一さんの消息がわからない、と会議の席上、みなが頭を抱えている。 「え?井崎脩五郎さんのお父さんですよ」 と言ったら、あっけにとられたみなの顔。 「そう言えば、似てる・・・」 めでたく連絡がとれてDVD許可もおり、よかったよかった。 柳家語楽のひざ人形だって楽しいよ。 波田野栄一「百面相」だって、ばかばかしいったらありゃしない。 外国で受けた野菜を吹いちゃうはたのぼるの「野菜漫談」。大根であんないい音が出るのよねえ。 こんな中にあって、異彩を放つのは竹中直人の「顔面模写」。 一瞬でおかしい。 暮れからお正月、何人かでそろって見れば盛り上がること請け合いです。 ご近所で1巻ずつ買ってまわしっこするとか 図書館にリクエストすれば購入してくれるんじゃないのかなあ。 で、この第2弾が2003年3月に発売開始。「昭和達人芸大全」 今度はビデオとDVD同時発売ですよ。 NHK50周年にもひっかかります。 もっと新しいとこ、もっと古いとこのごっちゃまぜ。 爆笑問題あり、市丸あり、島田洋之助・今喜多代あり、B21スペシャルあり、のいるこいるあり 三波春夫あり、ピンクの電話あり、モロ師岡あり、ふらみんごあり、キリングセンスあり、 Z−BEAMあり、玉川カルテットあり、シテイボーイズあり、王様とロバの耳あり、イエス玉川あり、 キッチュあり、チャンバラトリオあり、蛍雪次朗一座あり、山田雅人あり、AKIKOあり、 Wけんじあり、だるま食堂、あした順子・ひろし、てんやわんや・・・・ 昭和のアーカイブス、こりゃ買うしかないでしょう。 |
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